ローディー、信号が全部青だと逆に不安になる説

ロードバイクおぢ

なぜか今日に限って、信号が全部青。止まらず走れるのだから最高なはずなのに、あまりに続くと「次こそ赤だろ」と妙に身構えてしまいます。しかも休憩代わりに止まりたくなった頃まで青だったりします。信号待ちを嫌っているはずのローディーが、青信号の連続に戸惑う。そんな不思議なライドあるあるを掘り下げます。

今日の信号、妙に青ばっか続くんだけど…

街中をロードバイクで走っていると、たまに驚くほど信号に引っかからない日があります。最初の交差点は青、その次も青、さらに先まで絶妙なタイミングで青に変わる。普段なら赤信号で何度も足を止められる道なのに、その日だけは誰かが自分の走行に合わせて切り替えているのではないかと思うほどスムーズです。

ローディーにとって信号待ちは、できれば避けたいものです。せっかく一定のペースで走っていても、赤になれば減速して停止しなければなりません。再び青になればゼロから加速することになり、せっかく作ったリズムも途切れます。それを考えれば青信号が続く日は歓迎すべきなのですが、あまりにも止まらないと今度は妙な違和感が出てきます。

ひとつ目を通過した時点では何も思いません。二つ、三つと続けば「今日はタイミングがいいな」と少しうれしくなります。しかし五つ、六つと連続してくると話が変わります。「さすがに次は赤だろう」と遠くの信号を確認しながら走るようになり、それでも青のままだと、なぜか落ち着かなくなってきます。止められないことを喜んでいたはずが、いつの間にか信号の色を気にしながら進んでいるのです。

しかもロードバイクでは、ある程度スピードが乗っていると信号との距離感まで気になってきます。かなり先に青が見えると「このままなら間に合うかな」と考えてしまいますが、だからといって無理に加速するのは禁物です。青信号は通過を保証するものではなく、いつ変わるかは分かりません。あくまで安全に停止できる走り方を続ける必要があります。

それでも偶然とは思えないほど青がつながる日はあります。ペダリングを止めることなく交差点を次々と抜けていく感覚は気持ちよく、街中なのに長い直線路を走っているようです。ただ、いつも赤信号に散々止められているローディーほど、この幸運を素直に受け入れられません。「今日はやけに調子がいい」ではなく、「今日の信号、どうした?」と思い始めるあたりが、信号待ちに慣れすぎたローディーの悲しいところです。

止まらなくていいのに落ち着かない

信号待ちが少なければ、ロードバイクでは一定のペースを保ちやすくなります。せっかく乗ったスピードを落とす必要もなく、クリートを外して足を着く手間もありません。本来なら文句のつけようがない状況です。それなのに青信号が何度も続くと、だんだん素直に喜べなくなってきます。

理由のひとつは、普段の街中では適度に停止することが当たり前になっているからです。交差点が近づけば少し力を抜き、赤ならブレーキをかけて停車する。その短い時間に姿勢を起こしたり、水分を取ったり、サイコンを眺めたりします。意識して休憩しているつもりはなくても、信号待ちはちょっとした仕切り直しになっています。それがまったく訪れないと、予想以上に走りっぱなしになります。

さらに「次は止まるだろう」という予想が何度も外れると、妙な期待まで生まれます。遠くに交差点が見えるたびに色を確認し、青ならそのまま通過。また次も青、その先も青となれば、いつまで続くのか気になって仕方ありません。道路を走っているというより、青信号の連続記録に挑戦しているような感覚になってきます。

そのうち脚より先に気持ちのほうが休みたくなることもあります。ボトルの水を飲みたい、ジャージのポケットを直したい、サングラスの位置が気になる。普段なら次の赤信号で済ませればいいことが、こんな日に限って機会がやってきません。もちろん必要なら安全な場所へ停車すればいいだけなのですが、「ここまで来たらどこまで青が続くのか見届けたい」という謎の欲も出てきます。

赤信号ばかりなら「またか」と思い、青ばかりでも「さすがにおかしくないか」と気になってしまう。結局ローディーは、どちらに転んでも信号を意識しています。止められない快適さを満喫すればいいだけなのに、次の交差点を見ながらソワソワしてしまうのです。

青信号が続くと謎の記録欲が出てくる

青信号が何回か連続すると、それまで何とも思っていなかったのに「このまま一度も止まらずにどこまで行けるだろう」という謎の記録欲が湧いてきます。誰かと競っているわけでもなく、達成したところで何かがもらえるわけでもありません。それなのに連続回数が増えるほど、赤信号に捕まりたくない気持ちだけが強くなっていきます。

最初は単なる偶然です。しかし何個もの交差点を通過しているうちに、いつの間にかゲームのような感覚になってきます。「ここまで7連続」「次も行ければ8連続」と頭の中で勝手に数え始め、遠くに見える灯火の色まで気になります。普段なら目的地までの距離や走行時間を確認するサイコンより、前方の信号機のほうが気になる瞬間すらあります。

面白いのは、自分の力ではどうにもならないことを分かっているのに記録として意識してしまうところです。信号が切り替わるタイミングはこちらでは決められませんし、交通状況によっては青でも慎重に進む必要があります。それでも偶然が重なって連続通過が続けば、「今日は持っている」と少しだけ得意な気分になります。完全に運なのですが、なぜか自分が絶妙なペースで走っているから青を拾えているような気さえしてきます。

そして記録を意識した途端、次の交差点がやたらと重要な場所に見えてきます。まだ青だけれど、いつ変わってもおかしくない。そんな場面でも、もちろん黄色や赤を避けるために速度を上げたり、無理に通過したりしてはいけません。記録は遊びとして楽しめても、交通ルールや安全より優先するものではありません。赤になったら潔く停止して終了です。

それまで10個連続で青だったとしても、11個目で赤になればあっけなく記録は途切れます。そこで悔しがる必要などまったくないのですが、「あと少しだったのに」と思ってしまうのが不思議なところです。何の正式記録でもない青信号連続通過に勝手なチャレンジ要素を見つけてしまう。長い距離を走っていると、ローディーはこんな小さな出来事までライド中の遊びに変えてしまうのです。

本当はそろそろ止まって休みたい

青信号が続いて快調に進めるのはうれしいものですが、ある程度走っていると事情が変わってきます。脚を休ませたい、ボトルの水をゆっくり飲みたい、少し腰を伸ばしたい。そんな気分になってきたところで、なぜか目の前の信号は相変わらず青です。いつもなら赤になるたびに面倒だと思っているのに、こんなときだけ「そろそろ一回止めてくれてもいいんだけど」と都合のいいことを考え始めます。

信号待ちは走行を中断させる存在ですが、長時間ロードバイクに乗っていると数十秒の停止が意外な小休止になります。サドルから腰を浮かせたり、上半身を起こしたりするだけでも身体の感覚は変わります。ボトルへ手を伸ばすにも都合がよく、信号が変わるまで何もせず立っている時間がちょうどいい息抜きになることもあります。普段は邪魔者扱いしている赤信号にも、こんな役割があったのかと気づかされます。

ところが休みたいと思った日に限って、前方には青が並びます。「次で止まれるだろう」と考えていた交差点をそのまま通過し、その次も通過。気づけば休むきっかけを完全に失っています。もちろん疲れたのであれば、安全な場所を見つけて自分から停車すれば済む話です。それでも信号という自然な理由があれば、「休憩するほど疲れたわけではない。赤だったから止まっただけ」という妙な言い訳が成立します。

特に一人で走っていると、休むタイミングはすべて自分次第です。誰かが「ちょっと休もう」と言ってくれるわけではないため、まだ走れると思えばそのまま進んでしまいます。そんなときの赤信号は強制的に脚を止められる貴重な時間です。数十秒後にはまた走り出すとしても、一度動きを止めるだけで気分を切り替えられます。

信号待ちを避けたいと思っていたはずなのに、いざ一度も引っかからないと休ませてほしくなる。ローディーとは実に勝手なものです。青なら進みたい、赤なら文句を言いたい、それなのに疲れてきたら赤を歓迎する。結局欲しいのは青信号そのものではなく、自分が走りたいときだけ都合よく青になり、休みたいときだけ赤になってくれる信号なのかもしれません。

一度赤になるとホッとする

青信号を何度も通過し続けた先で、ついに赤信号が見えてくる瞬間があります。普段なら「ここで止められるのか」と残念に感じる場面なのに、この日ばかりは少し安心します。ブレーキをかけて徐々に速度を落とし、停止線で足を着いた瞬間、ようやくひと息つけたような気分になります。別に限界まで疲れていたわけではありません。それでも延々と走り続けてきた流れが一度途切れるだけで、妙にホッとするのです。

停車してしまえば、やることはいくらでもあります。上体を起こして肩や首を動かしたり、ボトルから水分を取ったり、ウェアの位置を整えたりできます。サイコンを確認して「思ったより走っていたな」と気づくこともあるでしょう。ほんの数十秒でもペダリングから解放されると、走行中には気づかなかった身体の張りを感じることがあります。赤信号がちょうどいいリセットボタンになってくれるのです。

同時に、青信号の連続を気にする必要もなくなります。何回続いたのか、次も通過できるのかと勝手に盛り上がっていた謎のチャレンジも、ここで強制終了です。一度途切れてしまえば未練もなくなり、その先からはいつものライドへ戻れます。「せっかくここまで来たのに」という悔しさより、「これでもう気にしなくていい」という解放感のほうが大きい場合すらあります。

信号が変わるまで周囲の景色を眺めながら待っていると、さっきまで青を歓迎していた自分が少しおかしく思えてきます。止まりたくないから青がうれしいはずなのに、続きすぎれば赤を待ち望み、実際に止められれば安心する。結局ローディーにとって信号の色は、そのときの脚と気分次第で評価が簡単に変わります。

やがて青へ変われば、クリートをはめて再スタートです。一度休んだことで身体も気分も少し軽くなり、また走ることに集中できます。あれほど避けたかった赤信号なのに、タイミングによってはありがたい存在になる。信号待ちでホッとしている自分に気づいたとき、青が続くことだけが快適なライドではないと実感するのです。

結論|信号運まで気にするのがローディー

ロードバイクに乗っていると、速さや距離だけでなく、その日の信号の巡り合わせまで妙に気になるようになります。赤ばかりなら「今日はツイてない」と感じ、青が続けば「今日は流れがいい」とうれしくなる。さらに幸運が続きすぎると、今度は「そろそろ止められそう」と警戒し始めます。冷静に考えれば信号の切り替わりは自分ではどうにもできないのに、ライドの調子を左右する要素のひとつとして受け止めてしまいます。

特に市街地では、信号ひとつで走行のテンポが大きく変わります。気分よく進んでいるところで何度も足止めされれば少し残念ですし、反対にスムーズに抜けられれば、それだけで今日はいい日だと思えてきます。脚がよく回ったわけでも、自己ベストを更新したわけでもない。それでも「今日は信号に恵まれた」というだけで、妙な満足感が残ることがあります。

さらに面白いのは、同じ赤信号でも状況によって受け取り方が変わることです。走り始めたばかりなら邪魔に感じるのに、距離を重ねた頃ならありがたい休息になります。青についても同様で、序盤なら歓迎していたはずが、延々と続けば「一回くらい止まってもいい」と思えてきます。結局欲しいのは青か赤かではなく、自分にとってちょうどいいタイミングで切り替わってくれることなのでしょう。

もちろん信号は運試しの道具ではありません。黄色へ変わりそうだからと加速したり、連続記録を途切れさせたくないからと無理に交差点へ進んだりせず、交通ルールに従うことが大前提です。そのうえで今日は何回連続で青だった、妙に赤ばかりだったと振り返る程度なら、ライド中のちょっとした楽しみになります。

距離、平均速度、獲得標高、風向き、そして信号運。自転車に乗らない人なら気にも留めないようなことまで、その日の出来事として記憶に残るのがロードバイクの面白いところです。「今日めちゃくちゃ信号運よかったな」と帰宅後に思ってしまったら、もう十分にローディーなのかもしれません。

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