ロードバイクを趣味にしていると、不思議なほど「もったいない」の基準が変わっていきます。数十万円のホイールは「長く使うから」と迷わず買うのに、コンビニでは20円安いスポーツドリンクを探してしまう。脚は惜しみなく使うのに、タイヤや電池は限界まで粘る。
そんな一般の人には理解されない、ローディーだけが持つ”バグったもったいない精神”を集めてみました。思い当たるものがあれば、もう立派なローディーです。
数十万円のホイールは即決
ローディーの「もったいない」は、一般的な金銭感覚とは少し違います。普段の買い物では数千円の差にも敏感なのに、数十万円のホイールを前にすると急に判断が早くなります。「軽くなる」「巡航が楽になる」「見た目も締まる」「長く使えば元が取れる」と、購入を正当化する材料が次々に浮かんでくるからです。まだ使えるホイールが自宅に何本あっても、それは比較用であり、雨の日用であり、予備です。新しい一本を迎える余地は、なぜか常に残されています。
さらに価格を走行距離や使用年数で割り始めると、話は一気に都合よくなります。30万円でも5年使えば年6万円、毎週乗れば1回あたり千円程度です。そこまで計算した時点で、本人の中では高額な買い物ではなく、むしろ長期的に見て合理的な選択へと変わっています。場合によっては「今買わない方が損」という結論にまで到達します。脚力や時間を無駄にしないための投資だと考えれば、財布のひもが緩むのも当然なのです。
ところが、その数時間後にはコンビニで20円安いドリンクを探し、通販では送料無料に届かない数百円を惜しんで買い物かごを何度も調整します。ホイールには数十万円を出せても、送料には納得できません。こうして大きな出費には寛容で、小さな支払いには異様に厳しいという、見事にねじれた節約精神が完成します。本人は散財しているつもりなどなく、むしろ賢く買ったと本気で思っています。
でもコンビニの20円は惜しい
数十万円のホイールを購入した直後でも、ローディーはコンビニの20円差を簡単には見過ごしません。同じ容量のスポーツドリンクが隣のスーパーなら安かったことを思い出し、レジへ向かう途中で足を止めます。炎天下を何時間も走り、身体は今すぐ水分を求めているのに、頭の中では「ここで買うのは損ではないか」という小さな会議が始まります。結局は最安の商品を選び、浮いた金額にわずかな達成感を覚えますが、店を出た直後には数百円のエナジージェルをためらいなく開封しています。
補給食を選ぶ場面でも、その判断基準は独特です。おにぎりが数円値上がりしていれば険しい表情になる一方、サイクルショップで見つけた軽量ボトルケージには「わずか数グラムでも積み重ねが大切です」と納得して数千円を支払います。自転車用品には性能や安全性という立派な理由を与えられますが、飲み物や食べ物は消費したらなくなるため、急にもったいなく感じるのでしょう。しかし補給を控えた結果、帰り道で空腹に耐えられなくなり、コンビニへ再び立ち寄って予定以上に買い込むことも珍しくありません。
本人としては無駄遣いを避け、堅実にやりくりしているつもりです。20円を何度も節約すれば、いつか高級パーツ代の足しになると信じています。ところが計算してみれば、目標額に届く頃には新しい規格が登場し、欲しかった製品も別のモデルへ変わっているかもしれません。それでも小銭には厳しく、愛車に関する支払いには驚くほど寛大です。この不思議な財布の管理方法こそ、ローディーのバグった「もったいない」精神を象徴しています。
タイヤは限界まで使い切る
タイヤは路面と接する重要な消耗品であり、交換を惜しむべき部品ではありません。しかしローディーは表面が四角くなり、小さな傷が増え、トレッドの薄さが目立ち始めても簡単には新品へ替えません。「まだ溝が残っています」「あと数百キロはいけます」「次の給料日までは持つはずです」と、ゴムの状態より自分に都合のよい根拠を優先します。走る前に車輪を回しながら細かな亀裂を見つけても、指で触って空気が漏れていなければ合格です。異物が刺さった跡には接着剤を塗り、傷口を眺めながら延命処置の成功に満足します。
交換用の製品はすでに自宅へ届いているのに、古い方を捨てるのが惜しくて箱から出さない場合もあります。新品はイベント用、決戦用、遠出用として温存され、摩耗した一本が日常のライドを担当し続けます。せっかく購入した高性能タイヤを普段使いで減らすのは損だと感じるためですが、履かなければ性能を味わう機会もありません。それでも新品の美しい表面を眺めるだけで所有欲は満たされ、古いゴムには「練習なら十分です」と再び仕事が与えられます。
やがてライド中にパンクし、道端でチューブを交換しながら「そろそろ寿命だったかもしれません」と気づきます。それでも帰宅すると穴だけを修理し、次回も同じタイヤで出発しようとします。数千円を節約するために、立ち往生する時間や転倒の危険まで背負い込むのです。高価な車体や部品を傷つける可能性を考えれば早めに替えた方が合理的ですが、最後の一ミリまで使わなければ損をした気分になります。安全より先に「まだ使える」が浮かぶようになったら、もったいない精神はかなり深いところまで進行しています。
脚は惜しまないのに電池は惜しむ
ローディーは自分の脚なら容赦なく使います。朝から峠を何本も越え、帰り道で太ももが悲鳴を上げても「よい練習になりました」で済ませます。翌日に筋肉痛が残ることも、体力が空になることも気にしません。ところがサイクルコンピューターやライトの残量が減ると、途端に節電へ意識が向きます。バッテリー表示が30%も残っているのに画面の明るさを落とし、ナビゲーションを切り、不要なページを表示しないよう細かく設定します。充電すれば済む話ですが、まだ残っている電力を補うことに、なぜか敗北感を覚えるのです。
出発前に残量が60%あれば「今日は短いので大丈夫です」と判断します。しかし走り始めると予定になかった峠へ寄り、知らない道へ入り込み、気づけば走行距離は当初の倍になっています。帰路では残り10%を切った表示に怯えながら、サイコンがいつ消えるかばかり気にしています。脚には追加で何十キロもの負担をかけられるのに、電子機器には最後の1%まで働かせようとします。ライトも同じで、点灯時間を延ばすために暗いモードを選び、日が落ちてから「少し見えにくいですが問題ありません」と自分へ言い聞かせます。
電池が切れれば走行記録が残らず、せっかく走った距離がなかったことになるため、本来なら余裕を持って準備すべきです。それでも帰宅後に充電ケーブルを挿すのは面倒に感じ、翌朝になってから残量不足に気づきます。モバイルバッテリーを携帯すれば安心ですが、その数百グラムは重いとして置いていきます。一方で身体には疲労を何時間分も積み込み、帰宅する頃には階段を上る力さえ残っていません。人間のエネルギーは使い切ってよく、機械の電力だけは温存したい。この扱いの差こそ、ローディー特有の不思議な節約感覚です。
補給をケチって地獄を見る
ローディーは高価な自転車用品には気前よく支払う一方、走行中の補給には妙な慎重さを見せます。出発前に用意したジェルを口にすれば楽になると分かっていても、「まだ早いです」「次の峠まで取っておきます」「本当に苦しくなってから使います」と温存します。空腹を感じても、水を飲めば少しごまかせると考え、ポケットの中にある補給食を触りながら走り続けます。数百円で回避できる失速を惜しみ、何千円もかけて整えた装備と鍛えた身体をまとめて機能停止へ追い込むのです。
最初のうちは本人にも余裕があります。脚が重くなっても向かい風のせいにし、速度が落ちても登り基調だから仕方ないと判断します。しかし次第にペダルを踏む力が抜け、景色を楽しむ余裕も消えていきます。同行者の何気ない加速についていけず、信号が青に変わっただけで絶望します。それでも補給食を食べるタイミングを逃したことは認めず、「今日は調子が悪いです」と身体の責任にします。すでにエネルギーが枯れているため、慌てて口へ入れてもすぐには戻りません。噛むことすら面倒になり、甘いジェルの袋を開ける指にも力が入らなくなります。
ようやくコンビニへたどり着くと、当初なら買わなかった量のおにぎり、パン、菓子、飲料を一気に購入します。節約するつもりで我慢した数百円は、空腹に支配された大量買いによって簡単に消えます。ベンチで無言のまま食べ続け、少し回復した頃には予定時刻も大幅に過ぎています。早めに一つ口へ入れておけば、快適なペースを保ち、余計な休憩も出費も避けられたはずです。それでも次のライドでは再び補給を残し、「今日は最後まで使わずに済みました」と満足します。食べるために持参したものを持ち帰ることが節約だと感じた瞬間、また同じ地獄への入口に立っています。
まとめ|結局いちばん惜しくないのは自分
ローディーは自転車に関わる物を少しでも長く使おうとします。高価な部品はもちろん、古いタイヤや使いかけの補給食、わずかに残った電池まで簡単には手放しません。その一方で、自分の身体だけは驚くほど雑に扱います。疲れていても予定の距離を短くせず、空腹を感じても休憩を先延ばしにし、痛みが出ても「走っていればほぐれます」と先へ進みます。道具の消耗には敏感なのに、体力や時間、翌日の生活が削られていくことにはなかなか気づきません。
節約した数十円や使い切った消耗品には満足感が残りますが、その代わりに失うものは決して小さくありません。補給を我慢して失速すれば楽しかったはずのライドが苦行へ変わり、交換時期を過ぎた部品を使えば故障や転倒につながります。充電や休憩を惜しんだ結果、帰宅が遅くなり、家族から冷たい視線を向けられることもあります。それでも本人は「無駄なく使い切りました」と誇らしげです。何を守り、何を犠牲にしたのかは、あまり深く考えません。
結局ローディーにとって最も惜しくないのは、自分自身なのかもしれません。愛車には傷が付かないよう慎重に立てかけ、チェーンの異音にはすぐ反応するのに、膝の違和感や身体からの警告は聞こえなかったことにします。自転車を大切にする姿勢は立派ですが、乗り手が壊れてしまえば次のライドには出られません。本当に守るべきものは財布の中の小銭でも、最後まで残ったゴムでもなく、また楽しく走るための身体です。とはいえ次の週末になれば、同じローディーは数百円を惜しみながら、自分の脚だけを惜しげもなく使い始めます。



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