「ロードバイクなら許される」という拗れたおぢたち

ロードバイクおぢ

「ロードバイクは自由の象徴だ」。そう語る拗れたおぢたちの誇り高き信仰。数グラムの軽量化に大金を注ぎ込み、ミリ単位のポジションに拘るその姿は、一見ストイックなアスリートそのものです。しかし、その内実を開けてみれば、一般社会の常識とはあまりにかけ離れた独自の教義で満たされていることに気づきます。

交通ルールやマナーさえも独自の解釈で捻じ曲げ、都合の悪い現実はすべて風の彼方へ流し去る。彼らの胸の内にあるのは、歪んだ特権意識と、それを正当化するための膨大な言い訳の数々です。

今回は、そんな拗れたおぢたちが「ロードバイクなら許される」と心の底から信じ込んでいる、一般人には理解不能な5つの聖域と、その歪んだ正義について容赦なく剥ぎ取っていきます。読めば胸が痛むか、あるいは激しい共感に深く頷くか。彼らの信仰心が試される禁断の扉を、どうぞ開けてみてください。

信号は空気で判断しても許される

交差点に差し掛かった際、目の前の信号機が赤色を灯していても、周囲の交通状況が穏やかであればそのまま突き進んで良いという謎のローカルルールを彼らは平気で発動させます。ママチャリの信号無視には激しい嫌悪感を示すくせに、自分の場合は高い速度を維持したままスムーズに巡航しているから安全だなどと都合よく脳内変換しているから驚きです。

それどころか足元のペダルとシューズが固定されているから止まるのが面倒だという、極めて個人的なワガママを交通法規よりも優先させる始末です。車が来ていないから大丈夫という勝手な空気の読み方で赤信号をスルーしていく姿は、周囲の歩行者や自動車のドライバーからすればただの危険極まりない暴走行為に他なりません。

公道を走る車両としての義務を完全に忘却し、自分の都合の良いタイミングだけで判断を切り替えるその二面性は、まさに拗れた特権意識の表れと言えるでしょう。ルールを厳格に守る美学よりも、自分の走行ペースを乱されたくないというエゴが勝ってしまうあたり、自転車乗りのモラルの歪みを象徴する最も分かりやすい悪癖なのです。

デブ体型でも正装だからピチピチジャージ

お腹の肉がジッパーを押し上げそうになっていても、これがサイクル界における公式な戦闘服であると主張して、伸縮性のあるウェアに無理やり体をねじ込むのが彼らのスタイルです。鏡に映る自分のシルエットがどう見てもプロ選手とはかけ離れた三頭身のキャラクターのようになっていようとも、機能性を最優先しているアスリートだからこれで正しいと思い込んでいます。

それどころか一般の人々が通りすがるコンビニの店内にその姿のまま堂々と突入し、おにぎりを物色する強靭なメンタルの持ち主でもあります。他人から見れば単なるボディラインを強調しすぎた露出度の高いおじさんでしかないのですが、本人たちの脳内では世界を転戦するロードレーサーと同等の高尚な姿に美化されているのが微笑ましいところです。

お世辞にもスタイリッシュとは言えない体型を最高級の海外製生地で包み込み、これがサイクリングの正装だと言い張るその揺るぎない自信は、ある種の恐怖すら感じさせます。見た目の美醜を凌駕する圧倒的な自己肯定感によって、周囲の冷ややかな視線をすべて弾き返し、今日も独自のファッションリーダーとして街を闊歩しているのです。

ロードバイクは車両、車道は俺たち優先

法律上は軽車両に分類される立場を都合よく利用して、車道の真ん中をわがもの顔で突っ走り、後続の自動車を従える王様のような振る舞いを見せるのが特徴です。普段は弱者としての権利を主張してドライバーの運転マナーに厳しく噛みつくくせに、いざ自分が舗装路に出ると、スピードの出る高級マシンに乗っているのだから最優先されるべきだと立場を逆転させます。

それにもかかわらず左側端を走るという大原則を無視して、道幅の狭いルートでもアスファルトの美味しい部分を堂々と占有するから始末に負えません。クラクションを鳴らされようものなら、正しい交通ルールを知らない無知なドライバーだと切り捨て、被害者のような顔をしてSNSに愚痴を書き込む様子は日常茶飯事です。

道路全体の円滑な流れを遮っているという客観的な視点は皆無であり、あくまで自分たちが主役であるという歪んだ解釈を崩そうとはしません。車両としての義務を都合よく取捨選択しながら、我が道を遮るものはすべて悪であると決めつけるその態度は、公道を共用する他の利用者たちから敬遠される最大の理由と言えるでしょう。

愛車は100万円超え、だから駐輪中は近寄るな

軽自動車が丸ごと一台買えてしまうほどの莫大な金額を投じたお宝マシンだからこそ、外出先のサイクルラックに立て掛ける際には周囲に対して異常なまでの警戒網を張り巡らせます。隣に一般のママチャリや使い古されたクロスバイクが近づこうものなら、自分の塗装に傷がつくのではないかと生きた心地がせず、まるで国宝でも守るかのような鋭い眼光で監視を始めるから滑稽です。

それどころか休憩中もテラス席の最前列を陣取り、一瞬たりともフレームから視線を外さずに、通行人がうっかり袖をかすらせないかピリピリとした空気感を周囲に撒き散らします。他人にしてみれば単なる二輪車の一つに過ぎないのですが、彼らにとっては触れることすら許されない至高の芸術品であり、近づく者すべてを潜在的な破壊不審者のように見なしてしまうのです。

万が一にも風で倒れてカーボンにクラックでも入ろうものなら地球の終わりだとばかりに怯えるくらいなら、最初から鍵付きのガレージにでも飾っておけば良いのにと思ってしまいます。高額な機材を所有するステータスを手に入れた代償として、常に盗難や破損の恐怖に怯え、リラックスするための休息時間すらストレスまみれにしている姿は自業自得という他ありません。

SNSでは正論ばかりの正義マン

ネットの世界にログインした途端に彼らは善良な市民へと変貌し、他人のマナー違反や不法行為を見つけては徹底的に叩きのめすパトロール活動に精を出し始めます。スマートフォンの画面越しに道路交通法の条文を引用しながら、右側通行をする一般車や歩道を暴走するママチャリの危険性を厳しく糾弾する姿は、まるで街の平和を守る守護神のようです。

それにもかかわらず自分が日中のライドで犯している数々のグレーゾーンな行為については完全に棚に上げ、他人の落ち度だけをカメラで撮影して晒し上げるから矛盾しています。現実の路上ではビンディングが外れなくてふらついたり信号の変わり目に突っ込んだりしているくせに、タイムライン上では完璧なモラルを体現する理想的なサイクリストを演じきるのだから大した役者です。

ぶっちゃけ他人に完璧な運転を要求するその熱意の半分でも、自分の日頃のライディングマナーを顧みるために使えば良いのにと感じてしまいます。自分の小さな不手際には極めて寛大でありながら、他人の過失には容赦なく正論の刃を突き立てるそのダブルスタンダードな姿勢こそ、この界隈のネットコミュニティを窮屈にさせている最大の原因に他なりません。

まとめ

このように自分の都合に合わせて道路の法律を勝手に解釈し、奇妙な服装で周囲を威圧しながら高級な愛車を過保護に扱う姿こそが、拗れたおぢたちのリアルな生態です。ネット上では完璧な道徳を振りかざして他者を攻撃する一方で、現実の路上ではエゴの塊のような運転を繰り返すそのギャップは、滑稽を通り越して清々しさすら感じさせます。

一般の社会からどれほど冷ややかな視線を浴びようとも、彼らは自らが築き上げた聖域の中で圧倒的な満足感に浸りながら走り続けています。ルールや服装に対する数々の歪んだ正当化は、部外者から見ればただの我が儘に映るものの、本人たちにとっては大切な趣味のアイデンティティを守るための防壁に他ならないのでしょう。

もしもあなたが週末の街道でこうした風変わりな自転車乗りを見かけたとしても、決して怒りの感情を抱かずに、哀愁漂う大人の迷走劇として温かく見守ってあげるのが正解です。そして自分自身が同じような特権意識の沼に足を踏み入れていないか、たまには我が身を振り返るための反面教師として役立てていくのが最もスマートな付き合い方と言えます。

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