追い風で出した最高速度を実力だと思いたい病

ロードバイクおぢ

「今日、なんか脚が回る」。いつもより速い巡航速度、軽いペダリング、そしてサイコンに刻まれる自己ベスト級の数字。ついに自分も速くなったと思いたいところですが、その背中を猛烈に押しているのは実力ではなく追い風かもしれません。それでもローディーは、その最高速度だけは自分の力だったことにしたいのです。

今日の俺、めちゃくちゃ速くない?

いつもの平坦路を走っているだけなのに、なぜか今日はロードバイクがやたらと前へ進みます。普段なら少し頑張らなければ維持できない速度なのに、ペダルを軽く回しているだけでサイコンには気持ちのいい数字が並びます。「あれ、俺ちょっと速くなってない?」。そんな疑問が浮かんだ時点で、頭の中ではすでに答えが決まり始めています。最近のライドが効いてきたのか、脚力が上がったのか、それともペダリングがうまくなったのか。都合のいい理由が次々と出てきます。

信号から発進して巡航速度まで上げるのも軽く、いつも苦しくなるあたりまで加速しても余裕があります。少し力を入れればさらに数字が伸びるため、本人の気分は完全に絶好調です。こうなるとサイコンを見る回数まで増えてきます。普段なら速度が落ちると見なかったことにするのに、今日は表示される数字を何度でも確認したくなります。35km/h、38km/h、条件が良ければ40km/h近くまで伸びて、「このままならもっといけるのでは」と欲まで出てきます。

もちろん、まだ追い風について深く考える必要はありません。木の葉が同じ方向へ揺れていても、道路脇の旗が勢いよくなびいていても、今だけは自分の成長を信じたい時間です。最近変えたタイヤが良かったのかもしれません。昨日しっかり寝た効果かもしれません。フォームを少し意識した成果という可能性もあります。ロードバイクが軽快に進んでいるという事実を前にすると、人間は驚くほど自分に都合のいい分析ができるものです。

そして何より厄介なのが、本人がそれほど頑張っていないことです。必死に踏んで出した数字なら冷静になれますが、余裕を残した状態で普段以上の速度が出てしまうと、「これは本当に速くなったのでは」と思えてきます。いつもの道なのに景色が普段より速く後ろへ流れていく。その気持ちよさに包まれながら、ローディーの頭にはひとつの言葉が浮かびます。「今日の俺、めちゃくちゃ速くない?」。この時点ではまだ、このあと折り返した先で待っている現実を知る由もありません。

追い風の存在にはまだ気づかない

気持ちよく速度が伸びているときほど、ローディーはその原因を自分以外に求めようとしません。向かい風なら走り始めて数分で気づくのに、後ろから吹いている風には驚くほど鈍感です。顔に風圧を感じていますし、走行中は常に空気が身体へ当たっているため、背中を押されている感覚もほとんどありません。本人としては、ただ今日はロードバイクが軽快に走っているだけなのです。

道路脇の草木が揺れていても、それをわざわざ観察しようとはしません。風向きを確認すれば、この快走の理由が分かってしまう可能性があるからです。もちろん意図的に無視しているわけではありませんが、「もしかして追い風では?」という発想より、「最近ちょっと調子いいかも」という考えのほうが先に出てきます。ロードバイクに乗っている以上、自分が強くなったと思える瞬間は素直にうれしいものです。わざわざその喜びに水を差す材料を探す必要はありません。

しかも追い風は非常に優秀なアシスト役です。緩やかな勾配でも速度を保ちやすくなり、脚を休ませても失速しにくく感じます。普段なら少し踏み直したくなる場面でも勢いが残るため、「今日はフォームが決まっている」「ペダリングがきれいだから速度が落ちない」と、自分の中で説明まで完成していきます。少し前まで苦労していた区間を楽に通過できれば、トレーニングの成果を疑う理由などありません。

さらに厄介なのは、周囲との比較まで始めてしまうことです。前方を走る自転車との距離が縮まれば、「今日は追いつくのが早い」と感じます。いつもなら抜かれるような場面で誰も迫ってこなければ、妙な自信まで生まれます。風は全員に吹いているのですが、その事実はひとまず頭の隅へ追いやられます。都合のいい材料だけを集めれば、自分が速くなったという結論はいくらでも補強できます。

追い風は向かい風ほど存在を主張しません。苦しさを与えるどころか、気持ちよく走らせてくれるため、その恩恵を受けている最中には原因として認識しにくいものです。だからローディーは疑うことなくペダルを回し続けます。今日の自分は調子がいい、脚もよく動いている、ついに一段階強くなったのかもしれない。そう信じながら進んでいる間、背後から吹き続ける風は何も言わず、最高の仕事をしてくれているのです。

サイコンの数字を見て完全に確信する

走っている本人が「今日は速い」と感じているだけなら、まだ単なる気のせいで済ませられます。しかしサイクルコンピューターに普段より明らかに高い数字が表示されると、一気に話が変わります。感覚だけではなく、目の前に証拠らしきものが現れるからです。いつもなら30km/h前後で走っている区間なのに、今日は同じような力加減で35km/hを超えている。少し踏み込めばさらに伸びていく。ここまでくると「やっぱり今日は違う」という確信が生まれます。

さらにテンションを上げるのが最高速度です。走行中に一瞬だけ出た数字だったとしても、自己ベストに近ければ強烈な説得力があります。平均速度まで普段より高ければ、もう疑う余地はありません。信号待ちで画面を確認しながら、「最近そこまで追い込んでないのに伸びてるな」「知らないうちに脚ができてきたのか」と、自分の成長物語が完成していきます。数値は客観的なものですが、その理由まで教えてくれるわけではありません。それでも都合のいい結果だけを見ると、ローディーの自己評価は簡単に上昇します。

こうなると走り方まで少し変わってきます。次の直線ではさらに高い数字を狙いたくなり、速度表示をちらっと確認しては満足します。いつも使っているギアより一段重くしてみても意外と踏めるため、「今日はまだ余力がある」と感じるでしょう。普段苦しくなるペースでも維持できてしまえば、もはや偶然とは思えません。トレーニングの成果、体調の良さ、機材の状態など、あらゆる要素が今日は自分に味方しているように思えてきます。

もちろんサイコンに表示されている速度そのものは嘘ではありません。実際にその速さで走っています。問題は、その数字を生み出した要因まで自分の能力として受け入れたくなることです。空気の流れという強力な助っ人については、まだ考えません。画面に残った最高速度を眺めれば、そんな細かいことはどうでもよくなってきます。「俺、やっぱり速くなってる」。サイコンという心強い証人を得たことで、ローディーの確信はいよいよ揺るぎないものになっていくのです。

折り返した瞬間に突きつけられる現実

気分よく走り続けて目的地へ到着し、ひと休みしてから来た道を戻ります。ここまでは最高のライドです。ところが折り返して数分もしないうちに、さっきまでとは明らかに様子が違うことに気づきます。ペダルが重い。速度が伸びない。それなりに踏んでいるはずなのに、サイコンには見慣れた数字どころか、それより低い速度が表示されています。「あれ?」と思ってギアを変えてみても状況は変わりません。往路で感じていた無敵感が、ものすごい勢いで消えていきます。

ここでようやく顔に当たる風の強さが気になります。さっきまで気持ちよく流れていた空気が、今度は真正面から身体を押し返してきます。木々の揺れ方を見れば風向きも分かりやすく、道路脇の旗までこちらに向かって元気よくなびいています。そこで初めて頭の中に浮かぶのが、「もしかして行きはずっと追い風だった?」という認めたくない事実です。あれほど軽かった往路には、ちゃんと理由があったのです。

しかも向かい風になった帰路は容赦がありません。行きに35km/hで流せた場所なのに、同じくらいの感覚で踏んでも30km/hに届かないことがあります。速度を戻そうとして力を入れれば脚は削られ、心拍も上がり、少し前まで抱いていた「今日は絶好調」という評価まで怪しくなってきます。自分が急に弱くなったわけではないと分かっていても、往路との差が大きいほど精神的なダメージは強烈です。

そして頭の中では、先ほどまでの出来事が次々と再検証され始めます。あの軽快な加速も、いつもより高かった巡航速度も、脚を緩めてもなかなか失速しなかったことも、すべて一本の線でつながります。「タイヤがよく転がっていたから」「フォームが良かったから」「ついに強くなったから」と考えていた理由の横に、巨大な文字で「追い風」が割り込んできます。せっかく完成しかけていた成長ストーリーが、折り返しただけで崩れていく瞬間です。

それでもローディーは簡単には諦めません。確かに風には助けられたかもしれない。でもペダルを回していたのは自分です。あの速度を実際に記録したことも事実です。帰り道で現実を突きつけられながらも、心のどこかでは往路の数字を守ろうとします。追い風だったという事実は認める。しかし全部が風のおかげだったとは認めたくない。その絶妙な抵抗を続けながら、さっきまでの倍くらい長く感じる帰り道を黙々と進むことになるのです。

それでも最高速度は自分の記録

帰り道で向かい風に苦しめられ、往路の快走が自分の脚力だけによるものではなかったと理解しても、ひとつだけ譲れないものがあります。それがサイコンに残った最高速度です。風に押してもらったことは認めます。条件が良かったことも否定しません。それでも実際にロードバイクに乗り、その数字を叩き出したのは自分です。誰かに引っ張ってもらったわけでもなければ、車に積んで移動したわけでもありません。ならば記録として堂々と残しておいてもいいはずです。

ライドを終えて走行データを確認すると、その気持ちはさらに強くなります。平均速度は帰路の苦戦によってそれなりの数字へ落ち着いていますが、最高速度だけは輝きを失っていません。そこだけ切り取れば、なかなか立派な結果です。「今日こんなに出てたんだ」と改めて眺めれば、途中まで感じていた万能感が少しだけ戻ってきます。どんな条件で出た数字なのかという説明は、とりあえず不要です。

そもそもロードバイクの走行結果は、毎回まったく同じ環境で測定できるものではありません。気温も違えば道路状況も変わり、体調や交通量によってもペースは左右されます。そう考え始めると、追い風だけを理由に今回の記録を無効扱いするのも何となく納得できません。条件に恵まれた日に気持ちよく走れた。それも自転車遊びの一部です。

もちろん次回、無風の日に同じ速度を再現できる保証はありません。むしろ再びその数字を見るまでには、かなり時間がかかるかもしれません。それでも一度表示された記録は簡単には消したくないものです。自己ベストの横に「参考記録」などと書く機能もありませんし、わざわざ自分から注釈を付ける必要もありません。

追い風だったかどうかを聞かれたら、少しだけ返答に困るでしょう。それでも最終的には「まあ条件は良かったけどね」と付け加えながら、最高速度の数字はしっかり自分の記録として受け入れます。風の力を借りたとしても、サイコンに刻まれた数字まで返却する義務はありません。ローディーにとって自己ベストとは、多少の追い風くらいでは手放したくない大切な勲章なのです。

結論|追い風も実力ということにしたい

ロードバイクに乗っていれば、風に助けられて驚くほど速く走れる日はあります。帰りに反対方向へ走って初めて、その恩恵の大きさを思い知らされることもあるでしょう。それでも気持ちよく走れた時間まで否定する必要はありません。自然条件によって走りやすさが変わるのも、屋外を走る自転車ならではの面白さです。

何より追い風の日に速く走れると、単純に楽しいものです。普段より重いギアが気持ちよく回り、少ない力でグングン進んでいく感覚は、それだけでテンションが上がります。そこで「全部風のおかげだから」と冷静に分析してしまうより、少しくらい自分が強くなった気分を味わってもいいでしょう。レースの公式記録を競っているわけではなく、休日にロードバイクを楽しんでいるのですから、喜べる数字が出たなら素直に喜んだ者勝ちです。

ただし、その勢いを本当の脚力だと信じ込んで帰路のことまで忘れると、しっかり向かい風という請求書が届きます。往路で調子に乗って脚を使いすぎれば、折り返したあとの数十kmが苦行へ変わることもあります。「今日は速い」と感じたときほど、帰りの風向きを少しだけ考えておくのが賢明です。

結局のところ、追い風で出た最高速度もロードバイクで走った一日の記録には変わりありません。風に押されたことは認めつつ、気分だけは自分の実力ということにしておく。そのくらい都合よく楽しめるのも趣味のいいところです。そして次のライドで同じ数字が出なかったとしても、「今日は風が悪かった」。ローディーには、その便利な言葉もちゃんと残されています。

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