ゆるポタという名の詐欺

ロードバイクおぢ

「今日はゆるポタで」。

その一言を信じて集合したのに、走り出して30分で違和感が出る。会話のはずが呼吸が荒くなり、止まって写真を撮る空気もなく、気づけば脚だけが削れている。

ゆるいはずなのに、なぜこうなるのか。この記事では、ゆるポタがいつの間にか別物へ変質していく“現象”を、具体例と一緒に整理していきます。

なぜ「ゆるポタ」は詐欺になるのか

なぜ「ゆるポタ」は詐欺になるのか。結論は、言葉として便利すぎるからです。

強度・距離・止まる頻度・時間帯・路面状況まで、必要な情報を全部ぼかせてしまい、告知側も参加側も「都合のいい解釈」で成立してしまいます。その結果、当日になって初めて現実と期待が衝突し、体感として「騙された」になります。

ゆるいの定義が人によって違う

「ゆるい」は数値ではなく感覚の言葉なので、人によって基準が簡単にズレます。たとえば普段からロードバイクで走っている人にとっての「ゆるい」は、会話できる強度で淡々と進むことを指しがちです。

一方で運動習慣が少ない人や久しぶりに走る人にとっての「ゆるい」は、息が上がらないこと、こまめに止まれること、帰宅後に疲れが残りにくいことまで含みます。同じ言葉でも前提が違うため、集合した瞬間から同じ方向を向けていないことが起きます。

言葉と実態が噛み合っていない

「ゆるポタ」という言葉の印象は、景色を見ながら気楽に走って、適当に休んで、疲れたら引き返せるようなものです。ところが実態は、信号の少ないルートで止まる回数が減り、集団の流れに乗って一定ペースが維持され、気づけば距離も時間も延びがちです。

さらに「今日はゆるめで」という前置きがあると、多少キツくても誰も口に出しにくくなり、結果として中身はしっかりトレーニングになる。言葉が作る期待と、当日に起きる現実がズレるほど、ゆるポタは詐欺っぽく感じられます。

よくある「ゆるポタ詐欺」

よくある「ゆるポタ詐欺」は、ひと言でいえば「いくつかの小さなズレが積み重なって、気づいたら別物になっている現象」です。

最初の説明では軽めに聞こえるのに、当日のコースや人数、先頭の雰囲気、時間の制約、寄り道予定の混雑などの条件が重なると、予定していたイメージから静かに離れていきます。単発の要因ではなく、複数の要因が同時に起きたときに体感が急に厳しくなり、「話が違う」と感じやすくなります。

ゆるポタ詐欺① 思ったより速い

ゆるポタの罠は、速度そのものより「速度が落ちないこと」にあります。信号が少ない区間に入ると、惰性でペースが上がりやすく、集団走行だと風の抵抗が減ってさらに速く感じにくくなります。

先頭が気持ちよく回し始めると、後ろは付き位置の都合で微妙に踏み続けることになり、会話できるはずの強度がいつの間にか息が上がる強度へ変わっていきます。結果として、平均すると大した数字ではないのに、体感だけが確実にキツいライドになります。

ゆるポタ詐欺② 止まらない

ゆるポタのはずなのに止まれない理由は、体力ではなく段取りにあります。信号や交差点で自然に切れ目ができるコースなら休憩が勝手に入りますが、走りやすい道ほどその切れ目が消えます。

さらに人数が多いと、止まるたびに再出発の手間が増え、遅れやトラブルも起きやすくなるため、主催側も無意識に「なるべく止まらず進む」選択をしがちです。結果、写真も水分補給も景色鑑賞も後回しになり、気づけば淡々と距離だけが伸びていきます。

ゆるポタ詐欺③ 地味に登る

ゆるポタで一番厄介なのは、峠のような分かりやすい登りではなく、短い坂や橋のアプローチ、河川敷の出入り、住宅街のうねりみたいな「地味な登り」が何度も出てくることです。

ひとつひとつは大したことがなくても、止まらずに進む流れの中で毎回ちょっと踏まされ、脚だけが確実に削られます。しかも集団だと前の人に付こうとしてペースが乱れやすく、平坦のつもりで来た人ほどダメージの理由が分からないまま疲れていきます。気づいた時には、脚が静かに終わっています。

ゆるポタ詐欺④ 休憩が少ない

休憩が少ないとキツいのは、単に脚が回復しないからではありません。水分補給や補給食、トイレ、服装調整、写真を撮る時間など、ゆるポタらしさを作る要素が全部削られていきます。さらに「次のコンビニでいいか」「次の景色のいい所でいいか」と先送りが続くと、気づいた時には予定より距離が進み、休む理由を言い出しにくい空気が出来上がります。結果として、走っている時間は長いのに満足感は薄く、疲労だけが残るライドになります。

誰も悪くないのに起きる理由

誰も悪くないのに起きる理由は、ゆるポタが「その場の空気で成立するイベント」になりやすいからです。参加者は迷惑をかけたくなくて黙って合わせ、主催者は全体を止めたくなくて流れを優先します。少しだけ無理をする人が積み重なると、全体の基準が静かに引き上がり、誰も意図していないのに内容がハード寄りへ寄っていきます。つまり加害者がいるというより、仕組みとしてズレが増幅される構造になっています。

ローディー基準と一般基準のズレ

ローディー基準と一般基準のズレは、同じ行動でも「負担の見え方」が違うところに出ます。ローディーは走行中の心拍や脚の余裕で強度を判断し、多少の疲労は想定内として組み立てがちです。

一方、一般的な感覚では、疲れの少なさだけでなく、景色を見る余裕、会話のしやすさ、止まりやすさ、帰宅後の体力の残り方まで含めて「ゆるい」を判断します。評価項目が最初から違うので、同じ距離でも同じコースでも、ゆるいと感じる条件が一致しにくくなります。

空気を読んで誰もブレーキをかけない

空気を読んで誰もブレーキをかけない。集団ライドでは、きついと言った瞬間に「自分のせいで止めた」と感じやすく、口をつぐみがちです。

先頭もまた、全体の雰囲気が悪くなるのを避けて、何となく流れを維持してしまいます。こうして誰も強制していないのに、全員が少しずつ無理をして合わせる状態が生まれます。ブレーキをかける役が不在のまま進むと、ゆるいはずのライドが、気づけば一番しんどい形にまとまってしまいます。

まとめ~ゆるポタを名乗るなら~

ゆるポタは言葉として便利なぶん、期待をいくらでも膨らませられるのに、実態はコースや人数や流れで簡単に別物になります。

速い、止まらない、地味に登る、休憩が少ない。どれも単体では些細でも、重なると体感は一気に厳しくなり、「ゆるいはずだったのに」と感じます。誰かが悪いというより、曖昧な言葉と集団の空気がズレを増幅させる構造が原因です。

だからこそ、ゆるポタを名乗るなら、ゆるさは雰囲気ではなく中身で決まると割り切ったほうが、無駄に傷つく人が減ります。

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