【重症】自転車に乗りすぎて歩くのが嫌いになった人たち

ロードバイクおぢ

最新のカーボンマシンを駆り、1グラム単位の軽量化に血道を上げるローディーにとって、自分の足で地面を歩くなどという行為は、もはや「前時代の遺物」に過ぎません。

しかし現実は数百キロを涼しい顔で走破する超人的な持久力を持ちながら、一歩サドルから降りた瞬間に、彼らは介護が必要なレベルの歩行困難者へと成り下がります。彼らが誇らしげに語る「人車一体」という言葉は、裏を返せば「自転車がなければ移動すらままならない」という、ある種の身体障害を自ら進んで買い取ったことに他なりません。

数百万年の進化をわずか数年の趣味で台無しにし、重力という物理法則にすら不平不満を漏らす。そんな、移動効率を追求しすぎて人間としての基本機能をバグらせてしまった、哀れなスピード狂たちの末路を覗いてみましょう。

文明の利器に魂を売り、足を退化させた民

数百万年という長い年月をかけて、人類は二足歩行という偉大な進化を遂げました。しかし、ロードバイクという効率の極致とも言える文明の利器を手にした瞬間、その進化の歴史をあっさりと投げ捨ててしまう人々がいます。

彼らは100キロを超える長距離を涼しい顔で駆け抜ける体力を持ちながら、駐輪場から目的地までのわずか数十メートルを歩くことには激しい拒絶反応を示します。サドルの上にいれば時速30キロで優雅に移動できるのに、自分の足で地面を蹴る行為はあまりにも原始的で、耐えがたい苦痛に感じてしまうのです。

最新のカーボンマシンに魂を預け、二本の足を単なるペダリング用のピストンへと変えてしまった彼らの姿は、もはや移動の自由を手に入れたというより、車輪がなければどこへも行けない不自由な存在へと退化しているようにさえ見えます。

効率の奴隷:時速4kmの世界を拒絶する傲慢な脳

一度効率の極致であるロードバイクのスピードを脳が覚えてしまうと、時速4キロという歩行の速度はもはや耐え難い時間の浪費にしか感じられなくなります。

彼らの脳内では常にエネルギー効率の計算が行われており、自重を支えながら一歩ずつ地面を蹴る徒歩という行為は、ワットパフォーマンスが極めて低い野蛮な移動手段として処理されます。コンビニまでのわずか300メートルであっても、わざわざヘルメットを被り、ビンディングシューズを履いて自転車に跨ろうとするのは、その方が人生の時間を有効に使えるという傲慢な確信があるからです。

目的地に早く着くことばかりを優先するあまり、道端に咲く花や季節の移ろいを感じる余裕すら切り捨て、ただサイクルコンピューターの数字だけを追い求める。そんな効率の奴隷となった脳にとって、ゆっくりと歩く豊かな時間は、排除すべき無駄なノイズでしかないのです。

装備の呪い:クリートを削りたくない子鹿の歩み

ロードバイク乗りが歩くのを嫌う最大の物理的要因は、足元に装着されたビンディングシューズという名の枷にあります。ペダルと一体化して異次元の推進力を生み出すその靴は、一歩地面に降り立った瞬間に、人類を歩行困難な生物へと変貌させます。

特に高価なカーボンソールに装着されたクリートは、彼らにとって聖域のような存在です。アスファルトの上を一歩歩くたびに、数百円単位のプラスチック片が削り取られていく感覚に襲われ、精神的な苦痛を伴います。その結果、クリートを保護しようと不自然に踵を引きずり、生まれたての子鹿のように膝を震わせながら慎重に歩く、なんとも滑稽な姿を晒すことになります。

カチカチという場違いな音を立てながら、滑りやすい床の上で転倒の恐怖に怯えて歩く様子は、まさに装備の呪いにかかった状態と言えるでしょう。速く走るための道具が、地上の移動においてこれほどまで自由を奪うという事実は、傍から見れば皮肉以外の何物でもありません。

身体のバグ:峠は登れるのに「階段」で死ぬ矛盾

ロードバイク乗りの身体は、ある種の極端な専門特化を遂げた結果、日常生活において致命的なバグを抱えることがあります。標高1000メートルを超えるような険しい峠を、心拍数を上げながら何事もなかったかのように登り切る強靭な脚力を持ちながら、駅のわずか数十段の階段を前にして絶望的な表情を浮かべるのはその典型的な例です。

この矛盾の原因は、彼らがサドルに腰を下ろし、特定の円運動に特化した筋肉しか使わなくなってしまったことにあります。自分の体重を垂直方向に持ち上げるという、人類が本来持っているはずの基礎的な筋力やバランス感覚を、ペダルを回すための出力へとすべて変換してしまったのです。

重力に抗って一歩ずつ段差を越えるという行為は、効率を極めたサイクリストにとって、もはや未知の苦行でしかありません。急勾配の坂道では軽快にダンシングを決める一方で、手すりにしがみつきながら階段を登るその姿は、自転車という補助器具なしでは生存できない特殊な進化を遂げた末路を象徴しています。

精神の摩耗:サドルがないと重心を保てない

自転車との一体感を追求しすぎた結果、彼らの精神はサドルの上にしか安らぎを見いだせないという、深刻な依存状態に陥ります。二輪のジャイロ効果によって保たれる安定感に慣れきった脳は、自分の足だけで直立し、バランスを取るという感覚をいつの間にか忘れてしまうのです。

地面に足をつけた瞬間、彼らは言いようのない不安感と所在なさに襲われます。サドルという支点がない世界では、どのように腕を振り、どの程度の歩幅で進むのが正解なのかすら分からなくなる、まさに精神的なバランスの崩壊です。建物の中で列に並んでいる最中も、無意識にハンドルを握る形に手を構えたり、ペダルを回すときのようなリズムで貧乏ゆすりをしたりと、自転車という殻を失ったヤドカリのような挙動を見せ始めます。

もはや彼らにとって、サドルは単なる座席ではなく、自己を安定させるための精神的な支柱となってしまいました。地面を歩くという自律した行為の中に自分を見失い、早くあの狭くて硬い居場所に戻りたいと願う姿は、もはや一つの病理と呼んでも差し支えないでしょう。

解決策:あえて「靴」を履き地面を歩くという苦行

退化した足を取り戻すための唯一の解決策は、あえて車輪を捨て、自らの足で地面を踏みしめるという原始的な苦行に挑むことです。これは単なる散歩ではなく、自転車に依存しきった神経系を再構築するための高度なリハビリテーションといえます。

まずはビンディング機能のない、底が柔らかい普通の靴を履くことから始めなければなりません。足裏全体で地面の感触を確かめ、クリートの削れる音に怯えることなく一歩を踏み出す感覚は、彼らにとって忘却の彼方にあった新鮮な驚きをもたらします。自転車なら一瞬で通り過ぎてしまう景色の細部に目を向け、時速4キロという重力に支配された世界の洗礼を受けるのです。

もちろん、最初はあまりの効率の悪さに苛立ち、サドルが恋しくて発狂しそうになるかもしれません。しかし、この苦行を乗り越えて「自分の足で歩ける」という自信を取り戻すことで、彼らはようやく車輪の奴隷から、真に自由なサイクリストへと進化できるのです。

まとめ:翼を手に入れた代わりに、地を這う能力を失うな

ロードバイクという文明の利器は、私たちに鳥のような視点と、風を切り裂く自由な翼を与えてくれました。しかし、その圧倒的なスピードと効率に魅了されるあまり、人間として本来持っているはずの、大地を力強く踏みしめる能力を失ってしまっては本末転倒です。

どれほど高性能なカーボンマシンを操り、どれほど高い山を制覇したとしても、私たちは最終的には二本の足で地面に立ち、歩かなければならない存在です。車輪がなければ移動できない不自由な生き物へと退化するのではなく、自転車から降りた瞬間も、凛として自分の足で歩ける強さを持ち続けたいものです。

二輪の翼を手に入れた喜びを噛み締めつつも、時には自転車を降りて、自分の足裏に伝わる地面の感触を思い出してください。地を這い、一歩ずつ進むことの豊かさを忘れずにいてこそ、サドルの上で手にする自由は、より一層輝きを増すことになるのです。

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