【悔悛】なぜ俺はロードバイクを買ってしまったのか…後悔した瞬間ワースト3

ロードバイクおぢ

「ロードバイクは最高の趣味だ!」と目を輝かせたあの日。
その夢は、目の前に立ちはだかる「後悔のワースト3」という名の現実によって、音を立てて崩れ去った。

優雅な趣味のはずが、なぜこんな「苦行」になってしまったのか?その真実を、今、赤裸々に告白する。

衝動買いの悦びと「現実」という名の絶望

「ロードバイクは最高の趣味だ!」と、目をキラキラさせて信じていた過去の俺に、もし会えるなら思い切りアッパーカットを食らわせたい。

あの日の俺は、真新しいカーボンフレームを前に夢を見ていたんだ。真っ赤なボディ、シュッと細いタイヤ、そして軽量化のために金をかけたパーツたち。そこに見えていたのは、「風を切って走る爽快感」「スタイリッシュなウェアに身を包む優雅な休日」「ヒルクライムを制覇する鋼の肉体」… まさに人生がバラ色に変わる魔法のアイテムだと思っていた。クレジットカードの決済ボタンを押した瞬間、「最高の相棒」を手に入れたという高揚感で、体が震えるほどだった。

しかし、現実はどうだ?

購入したその日の帰り道から、地獄は始まっていたのかもしれない。初期費用で財布は瀕死。愛車を室内に入れるために部屋は狭くなり、朝は優雅なサイクリングどころか、早朝の集合時間に間に合わせるための修行僧のような起床。そして、少し遠出しただけで待っている、想像を絶する疲労と、帰りの電車賃が惜しいという金銭的な苦痛。

俺が手に入れたのは「最高の相棒」ではなく、「人生を縛る鎖」だったのではないか?

本記事では、そんな俺が実際に体験した「なぜ俺はロードバイクを買ってしまったのか」と真剣に後悔した瞬間を、厳選ワースト3形式で紹介する。きっと、今画面の向こうでうなずいているであろう、同志の「あるある」を共有したい。

後悔した瞬間ワースト3発表

導入で語ったあの日の俺の夢。粉々になったその夢の残骸こそ、ロードバイクの本当の姿。最高の趣味。その栄光の裏側、そこにある苦い現実。

ここから俺の人生を根底から揺るがした三大後悔の瞬間を発表する。どれもこれも、購入前の俺自身、想像すらできなかった瞬間ばかり。

買った人間だけが知る、血と汗と涙のワースト3。一つずつ、その絶望を共有しよう。

ワースト3:家族・友人からの冷たい視線と理解不能な趣味

一歩外に出た瞬間、特に家族や非サイクリストの友人たちの前では、俺の行動はすべて「理解不能な奇行」へと変わる。これが、孤独で切ない後悔の瞬間、ワースト3だ。

きついのは、あのピチピチのウェア姿への冷ややかな視線。

「なんであんなに体の線が出る服を着るの?」「いや、あれが機能的なんだ。空気抵抗が…」「ふーん。」この一言で会話終了。俺の情熱が、実家のリビングで一瞬にして凍りつく感覚。あれは慣れない。鏡の中の俺はプロレーサー気取りなのに、現実の俺はただの変なおじさん。

次に辛いのは、カスタム費用について尋ねられた時だ。

「このタイヤ、いくらしたの?」と聞かれ、「えーと、普通の自転車が買えるくらいかな」と誤魔化すしかない。フレーム本体より高いホイールを買ったなんて、口が裂けても言えない。金銭感覚の麻痺は自分の中だけで済めば良い。しかし、周囲にバレた時、「また何か買ったの?」という妻の鋭い声や、友人の「へぇ、お金持ちだね」という皮肉が突き刺さる。

そして極めつけは、休日の「壁」だ。

最高の天気の日、「今日はロングライドに行くから」と遊びや家族の予定を断り、一人ペダルを漕ぎ出す時のあの背徳感。自分にとっては最高の時間でも、周囲から見れば「あいつ、また自転車。変わり者だね」というレッテルを貼られている気がしてならない。

この趣味は、人生を豊かにする代わりに、大切な人たちとの間に、見えない溝を作る。この孤独感こそ、ロードバイクを買ってしまった大きな後悔の一つだ。

ワースト2:際限なく続く「金銭感覚の麻痺」とパーツ沼

ロードバイクは初期費用さえ乗り越えれば、あとは健康に投資するだけ。そう思っていた時期が俺にもありました。

まさか、それが際限のない「金銭感覚の麻痺」への入り口だったとは。これこそ、ロードバイクを買って後悔する理由のワースト2だ。

まず、最初に買った自転車の値段は、この趣味における「最低価格」に過ぎないという事実。フレームを手に入れた瞬間、すぐに頭の中では次なるパーツアップグレード計画が始まっている。

「この純正ホイールは重いな。軽量化のためなら仕方ない」「どうせ買うなら最高のコンポーネントを」

気がつけば、フレームの購入金額に匹敵する額を、サドル、ペダル、ハンドル、そしてホイールに次々と投下している。数万円をかけて手に入れたパーツで、たった数十グラム軽くなったことに大喜びする自分。一般人が見たら正気の沙汰ではない。ラーメン一杯分の重さを減らすために、高級ディナー数回分を支払っているのだから。

さらに恐ろしいのは、本体ではない周辺アイテムの費用だ。

専用のサイクリングウェア、高機能ヘルメット、サングラス、サイクルコンピューター、そして万が一に備える工具やケミカル類。これらは必需品という名目で、際限なく財布からお金を引き出していく。そして、少しでも安いものを買うと性能が気になり、結局買い直すという二重投資の罠。

まさに、ロードバイクという趣味は「初期投資」ではなく、「生涯にわたる投資」を要求する。この果てしないパーツ沼にハマり、貯金残高が減っていくのを見るたびに、「なぜ、俺はあの時、衝動的に買ってしまったのか」と深い後悔の念に駆られるのだ。

ワースト1:優雅な趣味のはずが「苦行」になる激坂が見えた瞬間

ロードバイク最大の魅力。それは、風と一体になり、どこまでも軽快に進んでいく爽快感のはずだ。

しかし、その夢が一瞬で消え去り、「なぜ俺はこれを買ってしまったのか」と魂の底から後悔する瞬間、それこそが目の前に激坂が現れた時。これが、堂々の後悔ワースト1だ。

地図アプリで標高グラフを見て、覚悟はしていた。勾配十数パーセントの文字も知っていた。だが、画面の中の数字と、目の前に立ちはだかるアスファルトの壁は、まったく別物だ。初めてその壁を見た瞬間、頭の中は真っ白になる。優雅な趣味から一転、それはただの「苦行」以外の何物でもない。

特に屈辱的なのは、ギアをインナーローに落とし切る瞬間だ。

「まだいける、俺なら踏める」と意地を張ってみても、脚が悲鳴を上げ、結局チェーンを最小ギアに落とす。「シャコン」という小さな変速音は、自分の肉体的敗北を公衆の面前で晒している気がしてならない。誰も見ていないのに、なぜか恥ずかしい。

さらに、激坂の途中で一瞬でも「足を着こうか」という誘惑が頭をよぎった時、自己嫌悪は頂点に達する。立ち止まってしまえば、もう一度スタートするのは不可能に近い。痛む肺、燃えるような太もも、そしてサドルからの尻の痛み。これらすべてが、「車で来ればよかった」「普通の自転車で十分だった」という後悔の念を増幅させる。

風を切る爽快感よりも、呼吸が苦しいという現実。この肉体的、精神的な極限状態こそが、ロードバイク購入を最も後悔した瞬間なのだ。

それでも「買って良かった」と悟るとき

激坂に打ちひしがれ、財布は空っぽになり、家族には変人扱いされる日々。

それでも、俺はロードバイクを手放せない。むしろ、手放すなんて考えられない。この後悔のワースト3を乗り越えた時、初めて見えてくる「買って良かった」と悟る瞬間があるからだ。

それは、努力と苦痛が報われる、強烈な一瞬の「開放感」に集約される。

激坂を登りきった後の、あの非日常的な景色。車では絶対に止まれない場所、歩きでは遠すぎる場所へ、自分の力だけで到達したという達成感。山頂で飲む冷たい水や、最高の景色を肴にしたコンビニのパンの味は、どんな高級料理にも勝る。

そして何より、体が変わっていく喜びだ。

最初は情けなかった脚が、少しずつ力強くなっていく。坂道で引き返していた自分が、いつの間にか踏破できるようになる。これは、金で買えるパーツ軽量化とは違う、真の「自己肯定感」だ。ロードバイクは、努力を裏切らない。漕いだ分だけ、景色が変わり、体が変わり、自信に変わる。

誰にも邪魔されない孤独な時間も、また貴重だ。煩雑な日常や仕事のストレスから解放され、ただペダルを回すことだけに集中する。風の音、タイヤの音、自分の息遣いだけが響く空間。あの瞬間、ロードバイクは「苦行」ではなく、「最高のセラピー」になるのだ。後悔の数だけ、愛情は深くなる。そう悟った時、この趣味はもうやめられない。

まとめ:後悔と愛情は表裏一体

振り返ってみれば、ロードバイクは本当に「後悔の連続」だ。

ワースト3で挙げたように、家族や友人との間に溝を作り、ワースト2では際限なく財布の紐を緩め、ワースト1では激坂のたびに己の限界を思い知らされる。なぜ俺は、こんなにも手間と金と苦痛を伴う趣味を選んでしまったのだろうか?

その答えは、3章で語った「開放感」にある。

ロードバイクとは、後悔の種であると同時に、人生最高のスパイスなのだ。その苦痛が大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の達成感は甘美であり、他の何物にも代えがたい「自己肯定感」として積み重なっていく。

だからこそ、今日も俺は、文句を言いながらも愛車に跨る。

もし、今これを読んでいるあなたがロードバイクの購入を検討しているなら、声を大にして言いたい。この趣味は、間違いなくあなたの人生を変える。良い意味でも、悪い意味でも。

しかし、「後悔のワースト3」を理解し、その上でそれでも手に入れたいと願うなら、もう止めはしない。一つだけ忠告するなら、部屋のスペースと財布の紐だけは、しっかり締めておけ。

さあ、今日もまた、俺は後悔しながらも愛車に跨るだろう。そして、どこかの坂道の頂上で、最高の景色と、最高の達成感を味わうために。

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