外気温も暖かくなり、日に日に日没が長くなると、変える予定の時間を過ぎても「まだ走っていたい」と思ってしまいます。今日はそんな名残惜しさをエモい一瞬として取り上げてみたいと。
終わりを、告げる、夕陽
夕方の光は、いつも少しだけ残酷だ。
昼間の強い日差しとは違い、すべてを柔らかく包み込むようでいて、「終わり」を静かに告げてくる。
気づけば影は長く伸び、風もどこか穏やかになっている。サイコンの数字は十分すぎるほど積み上がっているのに、不思議と満足感だけが置き去りになる。脚は疲れているはずなのに、もう少しだけ回していたいという気持ちが勝つ。
河川敷でも、山の帰り道でも、街に戻る手前でもいい。どこであっても、その瞬間は同じ顔をしている。空の色が少しだけオレンジに傾き、音が減る。車の流れも、人の気配も、どこか一歩引いたように感じる。自分だけがまだ、この時間の中に残されているような錯覚。
帰れば現実が待っている。シャワー、洗濯、明日の予定。そんなことは分かりきっているのに、ペダルを止める理由にはならない。むしろ、そのすべてが「まだ帰りたくない」という感情を強くする。
この時間の厄介なところは、理由がないことだ。絶景があるわけでも、特別な出来事があったわけでもない。ただ、今この瞬間の空気が、少しだけ心地いい。それだけで十分すぎるほど、ここに留まりたくなる。
だから、無意味に遠回りをする。帰路とは逆の方向へ少しだけハンドルを切る。数分後には結局戻ると分かっていても、その数分がどうしても欲しくなる。
ロードバイクに乗っていると、速さや距離ばかりが語られがちだが、本当に記憶に残るのはこういう時間だ。何かを達成した瞬間ではなく、何も起きていないのに終わらせたくないと思ってしまう、あの曖昧な余白。
そして結局、ゆっくりとペダルを回しながら帰る。少しだけ名残惜しさを引きずったまま。だが、その未練こそが、次もまた走り出す理由になる。


コメント