一時は街を走れば必ずローディーを見かけ、休日のサイクリングロードはカーボンバイクで埋め尽くされていた。ロードバイクは「大人の新しい趣味」として、社会人の間で一大ブームを巻き起こしました。
だが、ここ数年──その勢いに陰りが見えている。ショップの閉店、若者の自転車離れ、そしてSNS上でささやかれる「ロードバイクはオワコン」という言葉。本当に、あの熱狂の時代は終わってしまったのでしょうか。
価格高騰、マナー問題、SNS疲れなど、ブームの終焉を示す要因はいくつもある。しかし一方で、ファットバイクやフル電動自転車といった“別の自転車文化”は、若者を中心に確実に広がっています。
つまり「自転車に興味がなくなった」のではなく、「ロードバイクという趣味が古くなった」と見るべきかもしれないです。かつての“ロードバイク黄金期”から現在までの変化を振り返りつつ、なぜブームが終わったのか、そしてどうすれば再び若者がロードの世界に戻ってくるのか──本稿ではその実態と未来の可能性を考察します。
かつてのロードバイクブームとは何だったのか
ロードバイクブームとは、単なる流行ではなく「自転車=スポーツ」という価値観が一般層にまで浸透した特異な時代でした。2000年代後半から2010年代前半にかけて、多くの人がロードバイクを通じて新しいライフスタイルを見出し、休日の定番アクティビティとして定着していきました。テレビや雑誌、漫画などのメディアが火をつけ、街中でもサイクルジャージ姿の社会人を見かけるのが当たり前になるほどの盛り上がりを見せたのです。
2000年代後半〜2010年代の“頂点期”
ロードバイク人気が最も高まったのは、2000年代後半から2010年代前半にかけてでした。きっかけとなったのは健康志向やエコブームに加え、ツール・ド・フランスのテレビ中継や『弱虫ペダル』といったメディアの影響です。
通勤・通学・週末のレジャーなど、さまざまな目的でロードバイクを取り入れる人が増え、スポーツとしてだけでなくファッションやライフスタイルの一部としても注目されました。高級カーボンフレームを誇示することが一種のステータスとなり、メーカー各社もデザイン性とブランド力を競い合っていた時代です。ロードに乗ること自体が“ちょっとカッコいい大人の証”として語られていたのもこの頃でした。
弱虫ペダルを始めとした漫画・アニメの影響
ロードバイクブームを語るうえで欠かせないのが、『弱虫ペダル』をはじめとする漫画やアニメの影響です。作品の中で描かれる青春・努力・友情の物語が、多くの人の心を動かしました。特にロードレースという競技が持つドラマ性や、機材の美しさ、登坂やスプリントの緊張感がエンタメとして広く知られるようになり、これまで無縁だった層にも“ロードバイクってかっこいい”という印象を浸透させました。アニメをきっかけに実際にバイクを購入した人や、キャラクターの使用モデルを探してショップを訪れるファンも多く、ロードバイクを「文化」として根付かせるきっかけの一つになったのです。
ショップ乱立とエントリーモデルの量産時代
ブームのピーク期には、全国でロードバイク専門店が次々とオープンし、まさに“ショップ乱立時代”と呼べる状況になっていました。メーカー各社は新規ユーザーの急増に対応するため、10万円前後のエントリーモデルを大量に投入し、誰でも手軽にロードバイクを始められる環境が整いました。
街の量販店やショッピングモールでもスポーツバイクが並び、「ロードバイクを所有すること」が特別ではなくなったのです。その結果、初心者の裾野は一気に広がりましたが、同時に“乗りっぱなし”や“流行りで買っただけ”という層も増え、文化としての成熟よりも“消費トレンド化”が進んだ時期でもありました。
なぜロードバイクブームは終わったのか
かつてあれほどの勢いを見せたロードバイクブームも、今では明らかに落ち着きを見せています。その背景には複数の要因が重なっています。
まず大きいのは価格の高騰です。カーボン素材や電子コンポーネントの普及によって、かつて20万円前後で買えた完成車が今では40万円を超えることも珍しくなくなりました。さらに高級パーツで優劣を競うような風潮に疲れた層が離れていきました。
加えてロードバイク界隈では中高年男性を中心とした“おぢ化”が進み、若者が入りづらい空気が生まれています。ショップやグループライドでの上下関係やマナー意識の押しつけも、世代間の温度差を広げる原因となりました。
そしてもう一つの要因が、サイクルウェアのデザイン問題です。機能性は高くても一般的な感覚からすると派手すぎたり体のラインが出すぎたりと、ファッション的な魅力に欠ける点が若者の参入を阻んでいるのです。
こうした複合的な要因が重なり、ロードバイクはかつてのような“憧れの趣味”から“距離を置かれる存在”へと変化していきました。
終わった理由① 価格高騰と維持費のハードル
ロードバイクが“高嶺の花”になってしまった最大の理由は、ここ数年の価格高騰にあります。カーボン素材の原価上昇や為替変動に加え、電子コンポーネントやディスクブレーキの標準化など、装備の進化がそのまま価格に反映されました。
エントリーモデルでさえ30万円前後、中級グレードは50万円を超えることも珍しくなく、ホイールやウェア、メンテナンス費用まで含めると相当な出費になります。かつて「趣味として始めやすいスポーツ」として人気を集めたロードバイクが、今では“買うこと自体がハードル”になってしまったのです。
特に若い世代や学生にとっては、初期投資と維持費の負担が大きく、結果としてロードバイクへの憧れはあっても現実的に手が出せない状況が生まれています。
終わった理由② 既存メディアからSNSへの移行
ロードバイクブームが終息に向かった背景には、情報の主役が既存メディアからSNSへ移行したことが大きく関係しています。ブームの頂点期には、テレビや雑誌、漫画などが中心となってロードバイクを華やかに取り上げ、誰もが同じ情報を共有していました。
ところがスマートフォンとSNSが一般化すると、情報の発信源が個人へと移り変わり、発信内容も断片的で偏ったものが増えていきました。メーカー広告や雑誌の誌面では夢や憧れを感じられたのに対し、SNSでは現実的なコストやトラブル、ネガティブな意見が可視化されるようになり、ロードバイクに対する“理想のイメージ”が崩れていったのです。
情報の多様化はメリットでもありましたが、統一された熱狂が失われ、結果的に「皆で盛り上がるブーム」から「個人が静かに楽しむ趣味」へと変化していきました。
終わった理由③ おぢ化・コミュニティの硬直化
ロードバイク界隈が“オワコン化”した最大の社会的要因は、コミュニティの硬直化、いわゆる“おぢ化”の進行です。ブームの頃に30〜40代だった世代がそのまま中心層となり、新しい価値観を持つ若者が入りにくい空気ができてしまいました。
グループライドではベテランの暗黙のルールが優先され、初心者が質問しづらい雰囲気やマナーの押しつけが横行しました。特に「昔はこうだった」と語る文化が強く、若者が持つカジュアルな楽しみ方やSNS的な発信スタイルが否定されやすくなったのです。
その結果、コミュニティが内向きに閉じ、同じ顔ぶれだけで盛り上がる“同窓会的世界”と化しました。こうした排他的な構造が新規参入を阻み、ロードバイクという趣味全体の新陳代謝を止めてしまったのです。
終わった理由④ ロードバイク系チャリカスによるイメージダウン
ロードバイクブームの終焉を早めたもう一つの要因が、いわゆる“チャリカス”と呼ばれる一部の迷惑ローディーによるイメージダウンです。信号無視や車道の真ん中をふらつき走行する危険行為、歩道での高速走行や集団での占拠、そしてSNSでの挑発的な投稿などが繰り返され、一般社会からの目が厳しくなりました。
もともとロードバイクは「マナーの良いスポーツサイクリスト」という印象で受け入れられていましたが、そうした一部の過激な行動が注目されることで、“危険で迷惑な乗り物”というイメージへと変わってしまったのです。
特に交通トラブルや事故報道が増えるたびに、ロードバイク全体が悪く見られる風潮が強まり、社会的な共感を失いました。真面目に楽しむ多数のローディーにとっては迷惑な話ですが、こうしたマイナスイメージがブームの熱を冷ます冷水となったのは間違いありません。
終わった理由⑤ 趣味としてのダサさ、ファッション性の乏しさ
ロードバイクが若者から距離を置かれるようになった背景には、「趣味としてのダサさ」が広く認識されてしまったことも大きな要因です。
機能性を最優先するサイクルウェアは、一般的なファッション感覚から見ると派手すぎたり体のラインが出すぎたりと、街中では浮いて見えやすい存在でした。かつては“本格派”の象徴として誇らしく見えたレーサースタイルも、SNSや日常の感覚では“おじさん臭い”“ナルシストっぽい”というイメージへと変わっていきました。
またブランド間での見た目の差が小さく、流行を取り入れる柔軟さも乏しかったため、ファッションに敏感な層ほど興味を持ちにくくなったのです。結果として、ロードバイクは「かっこよく乗ることが難しい趣味」と捉えられ、若者文化との距離が広がってしまいました。
現在の10代~20代は自転車に興味が無いのか?
現在の10代~20代が自転車に関心を持っていない、というのは実は誤解です。若者の中にも移動手段として、またファッションや趣味の一部として自転車を楽しむ層は確実に存在しています。
ただし、彼らが求めているのは従来の「ロードバイク」ではありません。競技的な速さやメカへのこだわりよりも、見た目の個性や利便性、SNS映えといった要素を重視する傾向が強くなっています。スピードや距離を競うことよりも、街乗り・カフェ巡り・写真映えといった“ライフスタイルの一部としての自転車”に魅力を感じているのです。
つまり、若者が自転車から離れたのではなく、ロードバイクという形が彼らの価値観や日常スタイルと合わなくなっただけなのです。
若者中心に利用されるファットバイクやスマートモビリティ
近年、若者の間で人気を集めているのが、太いタイヤを装備したファットバイクや、電動アシスト付きのスマートモビリティです。これらはロードバイクのようにスピードを追求する乗り物ではなく、デザイン性や手軽さ、そして街中での存在感を重視した新しいスタイルの自転車です。
特にファットバイクはSNSでの写真映えやストリート感の強さから若年層に支持され、個性を表現する手段としても楽しまれています。また、フル電動のe-bikeやスクータースタイルのモビリティは、通勤や通学に使える実用性と遊び心を兼ね備え、Z世代のライフスタイルにマッチしています。
つまり、若者は“自転車”というカテゴリから離れたわけではなく、単に「速さより自由」「レースより日常」を選ぶようになったのです。
おぢやぢぢぃの若者排他&若者のおぢ・ぢぢぃ嫌い
ロードバイク界が抱える世代断絶の一因は、“おぢ”や“ぢぢぃ”と呼ばれるベテラン層と若者層の間に生まれた相互不信です。長年乗り続けてきたおぢ世代の中には、経験やマナーを誇示するあまり、初心者や若者に対して上から目線で接する人も少なくありません。グループライドでは説教や指導口調が目立ち、若者が自由に楽しむ空気を奪ってしまう場面もあります。
一方、若者の側はそもそも文化の中におじさんやおばさんが入ってくるのを嫌います。ロードバイク趣味にしても年長者を「古臭い」「偉そう」と敬遠し、同じ趣味でありながら交わることを避ける傾向が強まっています。
つまり、排他的なおぢ文化と、それを拒絶する若者文化が互いを遠ざけ合い、ロードバイク全体の雰囲気を硬直化させているのです。世代間の価値観のズレが解消されない限り、ロードバイクが再び開かれた趣味になることは難しいでしょう。
どうすれば若いローディーが増えるのか?
若いローディーを増やすために必要なのは、ロードバイクを“競技”や“修行”ではなく、“カルチャー”として再定義することです。これまでのように速さや機材の優劣を競うだけでは、新しい世代には響きません。ロードバイクを通じて自分らしさを表現できる場や、仲間と緩やかにつながれる環境づくりが求められます。
そのためには、ショップやメディアが率先して若者向けのイベントや情報発信を行い、初心者でも気軽に参加できる空気をつくることが大切です。また、ベテラン世代は「教える側」ではなく「一緒に楽しむ仲間」として接する姿勢が求められます。世代を超えてフラットに交流できる環境が整えば、ロードバイクは再び若い層にとって魅力的な趣味へと戻っていくはずです。
①スタイルを重視したイケてる文化への転換
若い世代にロードバイクを再び受け入れてもらうためには、“速さ”よりも“スタイル”を重視する文化への転換が必要です。これまでのロードバイクは機能性一辺倒で、ファッションやデザインの感性が置き去りにされてきました。ところが現代の若者は、どんなモノを使うかよりも、それを“どう魅せるか”を重視します。
ロードバイクも例外ではなく、ウェアのコーディネートやバイクカラーの統一感、街に馴染むデザイン性が重要視される時代になっています。つまり、「レース仕様=本格的で偉い」という旧来の価値観から脱却し、「自分らしく乗る=かっこいい」という感覚へシフトすることが、若者層を取り戻す第一歩になるのです。
②ファストファッションならぬファストロードバイクを展開
若い世代を取り込むには、価格とデザインのバランスを取った“ファストロードバイク”のような概念が求められます。高級志向が進んだ現在のロードバイク市場では、初心者が気軽に始められる価格帯の選択肢が著しく減っています。
若者にとって50万円の趣味は非現実的であり、もっと手頃でスタイリッシュなモデルが必要です。たとえばアパレル業界の「ファストファッション」のように、デザイン性が高く、それでいて入門者でも手に取れる価格帯のロードバイクを各ブランドが展開すれば、新しい層の興味を引くことができます。例えばDAIWA CYCLEのARTMA RYLASなどは良い例でしょう。性能や素材にこだわりすぎず、“見た目とコスパで乗りたい一台”を選べる環境を整えることが、再び若者がロードバイクに近づくきっかけになるのです。
関連リンク:DAIWA CYCLE「ARTMA RYLAS」
③ロードバイクおぢたちの意識改革
若いローディーを増やすためには、何よりもまず40代~60代の“ロードバイクおぢ”世代の意識改革が欠かせません。長くこの趣味を続けてきたベテラン層が変わらなければ、ロードバイク文化そのものが過去の遺産になってしまいます。
若者が敬遠する最大の理由は、「マナー」や「礼儀」を口実にしたマウント体質や説教文化です。本来であれば経験豊富なローディーは、初心者を導く存在であるべきですが、実際には“正解の押しつけ”が若者を遠ざけています。
おぢたちが自分たちの時代の価値観を一度リセットし、「自転車は誰でも楽しめる遊び」という原点に立ち返ることができれば、ロードバイクは再び開かれたカルチャーとして蘇るはずです。若者に歩み寄る姿勢こそが、次の世代へ文化をつなぐ最初の一歩なのです。
まとめ|ロードバイクはおぢ&老人の趣味から若者の文化へ
ロードバイク趣味をこのままオワコンにしてはいけません。かつて多くの人を夢中にさせたこの文化には、今も走る楽しさと人をつなぐ力があります。確かにブームは去り、若者離れも進んでいますが、それは時代が変わっただけで、ロードバイクの本質的な魅力が失われたわけではありません。
必要なのは、古い価値観にしがみつくことではなく、新しい感性でこの趣味を再定義することです。おぢたちは門番になるのではなく、次の世代を迎え入れる案内人に、若者は“速さ”よりも“楽しさ”を追求する自由な発想でロードに触れてほしいのです。ブームの終わりを“終焉”でなく“再生の始まり”にできるかどうか──それは今を走る私たち次第です。



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