【絶滅?】ロードバイク女子はどこへ消えた?

ロードバイクおぢ

かつてSNSを華やかに彩った「ロードバイク女子」という幻想は、今や絶滅の危機に瀕しています。可愛いウェアでカフェを巡るキラキラした日常の裏側にあったのは、滝のような汗と日焼け、そして教えたがりな「おぢ」たちの執拗なマウンティング。

今回は、美意識と貯金を天秤にかけた彼女たちが、なぜ100万円のカーボン塊を捨ててヨガスタジオへと亡命したのか、その不都合な真実を暴きます。

インスタから消えた「映え」という名の幻覚

数年前、インスタグラムのタイムラインを華やかに彩っていた「ロードバイク女子」という幻想を覚えていますか。パステルカラーの可愛いウェアに身を包み、お洒落なカフェの前で高級カーボンバイクと並んで微笑む彼女たち。しかし、現代においてその姿は、まるでツチノコか未確認飛行物体を探すかのような困難を極めています。

その理由は至極単純です。彼女たちはついに気づいてしまったのです。サイクルジャージというものは、可愛いファッションなどではなく、内臓を圧迫し肉体のラインを容赦なく強調する、ただの「締め付けの強い戦闘服」であるという事実に。さらに、ヘルメットを脱いだ瞬間に現れる、汗でべったりと張り付いた前髪と、頬にくっきりと刻まれたストラップの跡。それらはどんなに高性能なフィルターを使っても加工しきれない、無慈悲な現実を突きつけてきます。

キラキラした「映え」を求めてこの界隈に迷い込んだ彼女たちを待っていたのは、優雅なティータイムではなく、己の心拍数との孤独な戦いでした。1ミリの可愛さも残さないほど顔を歪めて坂を登り、帰宅後に鏡に映るのは、日焼けと排ガスで薄汚れた一人の疲弊した人間です。スマホの画面越しに見ていたあの輝きは、実は高度なライティングと一瞬の奇跡が作り出した幻覚に過ぎなかったのです。

結局、お洒落なカフェに行くなら、わざわざ数枚の布切れに数万円を払い、苦悶の表情でペダルを漕ぐ必要など全くなかった。その残酷な真理にたどり着いた彼女たちが、次々とカメラを置き、メルカリに機材を放流し始めたのは、もはや必然と言えるでしょう。

ライドと機材を強要する「おぢ」の猛攻

せっかく勇気を出して趣味の扉を開けた女性たちを、音速で追い払う最凶の要因。それこそが、親切心の皮を被った「教えたがりおじさん」、いわゆるロードバイクおぢたちの猛攻です。彼らは初心者の女性を見つけるやいなや、頼んでもいないのに背後にピタリと張り付き、聞いてもいない機材のウンチクやペダリング効率について、延々と説法を垂れ始めます。

彼らにとっての「ゆるポタ」は、一般女性にとっては死を覚悟するレベルの強制労働に他なりません。今日は平坦だから大丈夫、という甘い言葉に騙されて連れて行かれるのは、酸素の薄い峠道。青白くなった彼女の顔を見てもなお、もっと回して、心拍あと10上げて、などと無慈悲な指示を飛ばすその姿は、もはやスポーツ指導ではなく、新手のハラスメントに近いものがあります。

さらに、彼女たちが自分のペースで楽しもうとしている機材に対しても、彼らのマウンティングは止まりません。そのコンポじゃ坂は登れないよ、とか、ホイールを変えないとロードの真価は分からない、といった余計なお世話を焼き、気がつけば数十万円の出費を当然のように勧めてきます。自分の価値観こそが世界の正解だと信じて疑わない彼らの熱苦しさは、お洒落に自転車を楽しみたいだけの層にとっては、ただの異臭を放つノイズでしかないのです。

そして彼女たちは思います。あのおぢの相手をするくらいなら、一人でジムのエアロバイクを漕いでいる方が、精神衛生上よほど健康的である、と。こうして、善意という名の凶器を振り回すおぢたちの活躍により、ロードバイク界の女性比率は今日も安定の絶望的な数値を維持しているわけです。

紫外線と排気ガスという名の無慈悲な攻撃

美容と健康のために自転車を始めたという健気な女性たちを、文字通り「物理」で叩きのめすのが、この過酷な屋外環境です。彼女たちが夢見ていたのは、爽やかな風に吹かれながら緑のトンネルを駆け抜けるCMのような一幕でしょう。しかし、現実に待ち構えているのは、高級な日焼け止めをあざ笑うかのように突き抜けてくる凶悪な紫外線と、前方を行く大型トラックが吐き出す真っ黒な排気ガスのコンボです。

数時間も走れば、丁寧に仕上げたメイクは汗と脂で溶け出し、その上から都市部の粉塵がトッピングされ、顔面はもはや地層のような有様になります。信号待ちでふとショーウィンドウに映った自分を見たとき、そこにいるのは「輝くスポーツ女子」ではなく、顔を土色に染め、瞳に絶望を宿した一人の泥武者です。この姿を見て、それでもなお美しさを維持できると信じられるのは、よほどの楽観主義者か、あるいは視力が極端に悪い人だけでしょう。

さらに恐ろしいのは、ジャージの隙間から不自然に刻まれるクッキリとした日焼け跡です。手首や太ももに現れるその境界線は、日常生活において「私は変な趣味に没頭しています」と自己紹介しているようなもの。お洒落なノースリーブのワンピースを着ようものなら、その不格好なグラデーションがすべてを台無しにしてくれます。美しくなるために始めたはずのロードバイクが、実は肌の老化を加速させ、見た目の清潔感を奪い去る最短ルートだったという事事実に気づいたとき、彼女たちは静かにショップの会員証をシュレッダーにかけるのです。

修羅の国と化した女子コミュニティ

SNSのタイムラインに流れてくる、女性サイクリスト同士の仲睦まじい集合写真。しかし、その笑顔の裏側に一歩足を踏み入れれば、そこは弱肉強食のヒエラルキーが支配する修羅の国です。少数派である女性同士、手を取り合って励まし合うのかと思いきや、実際には誰が一番高いフレームに乗っているか、誰が一番フォロワー数を持っているかという、血で血を洗うマウンティング合戦が日々繰り広げられています。

特に恐ろしいのは、実力主義という名の暴力です。可愛いウェアを着てポタリングを楽しみたいだけの層に対し、山を登ってナンボという価値観を押し付けるガチ勢の存在は、もはや恐怖でしかありません。SNSで人気のある女子がアップした写真に対し、心の中では機材の組み方が甘いとか、膝の角度が悪いといった技術的な難癖をつけ、陰でこっそり格付けを行う。その閉鎖的なコミュニティの空気感は、初心者が馴染むにはあまりにも毒素が強すぎます。

また、周囲の男性サイクリストからの注目を誰が独占するかという、不毛なセンター争いも勃発します。ちやほやされるのは自分一人でいいという心理が働けば、新しく入ってきた可愛い初心者は、歓迎されるどころか静かに村八分にされる運命にあります。こうした人間関係のドロドロに疲れ果てた彼女たちが、愛車をガレージの肥やしにして去っていくのは、ある意味で自衛本能と言えるでしょう。

爽やかなスポーツの皮を被りながら、その実態は狭い島国の中での序列争い。そんな不毛な世界に留まるよりも、もっと平和で建設的な場所に居場所を求めるのは、賢明な判断と言わざるを得ません。

彼女たちは「ピラティス」か「ヨガ」へ

排ガスまみれの国道を走り、おじさんたちの説法に耐え、肌をボロボロにしてまで坂を登る。そんな苦行の果てに、賢明な彼女たちがついに辿り着いた答えは、冷暖房が完備された清潔なスタジオでした。そう、彼女たちは今、泥だらけのロードバイクをメルカリで放流し、ピラティスやヨガという名の、本当の楽園へと移住しているのです。

想像してみてください。真夏に汗だくで山を登る代わりに、アロマの香る部屋でゆったりと呼吸を整える時間を。トラックに煽られる恐怖に怯える代わりに、柔らかいマットの上で優雅にポーズを決める姿を。そこには、あなたの機材のグレードを馬鹿にする地縛霊も、顔面を土色に染める粉塵も存在しません。鏡に映るのは、ボロボロになった自分ではなく、美意識を丁寧に取り戻していく本来の自分の姿なのです。

100万円のカーボン塊を必死に漕いでも手に入らなかったのは、真の心の安らぎでした。ヨガウェアはサイクルジャージよりも遥かに着心地が良く、しかもそのままお洒落なカフェに寄っても、不審者扱いされることはありません。何より、自分の心拍数を極限まで追い込まなくても、心地よい疲労感と共に自己肯定感を高められるという事実は、彼女たちにとって革命的な発見だったに違いありません。

結局、美しくなりたいという純粋な願いを叶えるために、わざわざ修羅の道を選ぶ必要はなかったのです。スマートに自転車を見限り、スマートにスタジオへと転身した彼女たちの決断は、ある意味でこの界隈における最も高度な生存戦略と言えるでしょう。

生き残ったのはゴリラの心を持つ猛者

キラキラした女子たちが次々とピラティスやヨガのスタジオへと避難していく中、今もなお峠の頂上で荒い息を吐いている女性たちは、もはや絶滅危惧種を超越した存在です。彼女たちはもはや、お洒落や映えといった世俗的な価値観を完全に捨て去り、内なる野生を解放してしまった、ゴリラの心を持つ猛者たちに他なりません。

彼女たちの辞書に「日焼け」や「メイク崩れ」という言葉は存在しません。あるのは、前の走者をいかに千切るか、そして平均ワット数をいかに上げるかという、生物としての純粋な闘争本能だけです。冬の寒風に晒されて肌がガサガサになろうとも、真夏の酷暑で意識が遠のこうとも、彼女たちは止まりません。その瞳の奥に宿るのは、可憐な女子の輝きではなく、獲物を追い詰める捕食者のような冷徹な光です。

もはや彼女たちを、安易に女子などというカテゴリーで呼ぶのは失礼にあたります。性別という枠組みを軽々と飛び越え、ただ速さのみを追求する、サイクリストという名の新人類に進化したのですから。おじさんたちの説教を力技でねじ伏せ、並み居る男性陣を坂道で置き去りにしていくその背中は、逞しく、そしてあまりにも孤独です。

結局、この過酷なロードバイク界という修羅の国で生き残れるのは、繊細な美意識を捨て、鋼のメンタルと爆発的な脚力を手に入れた選ばれし者だけなのです。もし貴方が山道で彼女たちに出会ったなら、下手に声をかけてはいけません。そこには、可愛いサイクリング女子の幻影など微塵も存在せず、ただストイックに己を追い込み続ける、高潔なゴリラの魂が鎮座しているのですから。

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