ザコレロって何だ?最近PINARELLO界隈を賑わせるスラングを考察

ロードバイクおぢ

ピナレロ乗りの間で、最近じわじわと広がりつつあるスラングがある──「ザコレロ」。

一見すると冗談めいた響きだが、その裏にはピナレロというブランドに根付いた“ヒエラルキー意識”が見え隠れする。先日、ライド途中に立ち寄ったサイクルステーションで、この言葉を初めて耳にした。

おそらく30代~40代前後のPINARELLO乗りロードバイクおぢたちの会話の中で、旧モデルやエントリーモデルを笑いのネタにしていたのだ。「ザコレロ、キタコレwww」と盛り上がる様子を聞きながら、同じブランドの中でここまで序列が生まれるものかと、思わず苦笑してしまった。

この記事では、その「ザコレロ」という奇妙な言葉がどのようにして生まれ、何を象徴しているのかを掘り下げていく。

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ザコレロ?何それ?~言葉を知ったきっかけ~

先週、ライド途中に立ち寄ったあるサイクルステーションでのことだった。
ドリンクを片手に一息ついていると、隣のテーブルから妙に耳に残るワードが聞こえてきた。

「ザコレロ乗りがさ〜」「なんでわざわざPARISなんて買うかな~」「今どきFP1乗ってるとか〜」

ザコレロという聞き慣れない単語に思わず耳をそばだてる。話しているのは、30代~40代前後と思しきピナレロ乗りのおぢたち数人。会話を聞くつもりはなかったが、どうにも気になって仕方がない。どうやら彼らの間では、10年ほど前の旧モデルやエントリーモデルのピナレロを「ザコレロ」と呼んでいるらしい。

初めて聞いたその言葉には、どこか小馬鹿にしたような響きがあった。ちらりと視線を向けると、サイクルラックには2022年〜2024年あたりのF5やF7がずらり。なるほど——あれが彼らの愛車か。

「ザコレロ=PINARELLOの雑魚モデル」

ピナレロというブランドが持つ絶対的なブランドイメージと、その中に生まれたヒエラルキー。その裏側にある“おぢ界隈”のマウンティング文化を象徴するような一言を、その日、初めて耳にしたのだった。

ザコレロと呼ばれるPINARELLOのモデルは?

おぢたちの会話をもう少し聞いていると、「ザコレロ」と呼ばれているのはどうやら特定のモデル群らしい。耳に残った名前を思い返すと、FP1、RAZHA、PARIS、PRINCE、ANGLIRU、GAN——いずれもピナレロの中ではエントリーからミドルレンジに位置するモデルたちだ。

おぢたちが一括りに「ザコレロ」と呼んで笑うこれらのモデルは、皮肉なことに、どれもピナレロというブランドを支えてきた“功労者”たちでもある。

ザコレロ例① FP1/FP3

今や懐かしの2010年代に販売されていたPINARELLOのアルミモデル。FP1は価格も20万前後と当時としては初心者でも出せそうな金額帯。

ザコレロ例② RAZHA

PINARELLOのカーボン仕様エントリーモデルの代表格。現行のDOGMA Fモデルの一世代前であるDOGMA 65.1の系譜。価格帯は25~35万円前後。

ザコレロ例③ PARIS

PINARELLOにおける、いわゆるエンデュランスモデル。カーボンはT600で快適性重視のジオメトリ。価格帯は40万前後。

ザコレロ例④ PRINCE

PINARELLOが欲しいけれどDOGMA Fシリーズには手が届かない層向けのモデル。レース仕様のジオメトリやT700使用で価格は40~50万前後が一般的。

ザコレロ例⑤ GAN

こちらもDOGMAに手が届かない層に向けてPINARELLOがもう少し手が届きやすい価格帯に落とし込んだカーボンロードバイク。価格帯は30~35万円前後。

なんで彼らはザコレロと呼んでいるんだろう?

なぜ、これらのモデルが「ザコレロ」と呼ばれるようになったのか。その理由は単純でいて、ピナレロというブランドが持つ“神格化されたヒエラルキー”にある。

ピナレロといえば、ツール・ド・フランスを制したDOGMAシリーズを筆頭に、「最上位=正義」「DOGMA=本物」という構図がすっかり定着している。その一方で、FP1やRAZHA、PARIS、PRINCE、ANGLIRU、GANといったミドル〜エントリー層のモデルは、確かにデザイン性も劣るし価格や素材の違いから“下位モデル”として見られやすい。

特に機材マウントが文化のようになったロードバイク界隈では、「DOGMAじゃないピナレロ=なんちゃって」「ロゴだけ一人前」と揶揄する風潮が強まった。つまり「ザコレロ」とは、そうした上位モデル信仰から生まれた差別語だ。

「ピナレロに乗ってるくせにザコ(=下位グレード)じゃん」という、ブランド内マウンティングの象徴。しかも使っているのは主にピナレロ乗り自身というのが、なんとも皮肉だ。

実際のところ本当にハイエンドモデル、DOGMAやF9に乗るローディたちは、そんな言葉を使うことはまずない。彼らは機材の格ではなく走りそのものを語り、他人を貶すことに価値を感じていない。

「ザコレロ」というスラングは、むしろ“中堅クラスのピナレロ乗りが生み出した虚勢の産物”なのかもしれない。実際、私がこの言葉を聞いたとき、サイクルラックにDOGMAは止まっておらず、掛かっていたのはF5やF7だった。

ロードバイクの世界では、他社ブランドを貶すよりも、“同じブランド内で序列をつけて笑う”という文化が一部に根付いている。「ザコレロ」という言葉は、まさにその歪んだブランド意識が形になった象徴なのだ。

まとめ~PINARELLO界隈に思うロードバイク文化の根深い病~

結局のところ、エントリーモデルだろうがハイエンドだろうが、どんなモデルでも楽しめりゃ良い。FP1でもDOGMAでも、風を切って走るあの感覚に変わりはない。

ロードバイクは究極の自己満足の趣味だ。漫画『じこまん』に描かれていたように、誰に見せるでもなく、自分が気持ちよく走れればそれでいい——あの作品を今読み返しても、「そうだよな」と頷ける部分がたくさんある。

むしろ問題なのは、そうした“楽しむ”という本質を忘れて、同じブランド内で優劣をつけたがる中途半端なグレードのローディーたちの差別意識だ。

「ザコレロ」なんて言葉が生まれる背景には、見栄や虚勢が根強く残っている。そしてそんな意識が平然と息づいてしまっているのが、いまのピナレロ界隈——ひいてはロードバイク文化全体の病なのかもしれない。

本来、自転車は自由で、楽しくて、誰のものでもないはずだ。ブランドや価格で人を測る風潮がなくなることこそ、本当の“成熟したロード文化”への第一歩だろう。

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