【大迷惑】エスワおぢさん、イキリが止まらない。

ロードバイクおぢ

スペシャライズドの最高峰「S-WORKS」。

その名を聞いただけで背筋が伸びるようなブランド力を持つ一方で、妙にイキった中年ローディーが昔から存在します──それが“エスワおぢさん”。高級機材を手に入れたことで、あたかも自分がトップレーサーになったかのように錯覚する彼らの言動には、ある共通点が見られます。

今回は、そんなエスワおぢさんたちの特徴と心理を掘り下げます。

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エスワおぢさん、今日もまたイキリが止まらぬ“エゴ”ワークス

エスワおぢさんとは、スペシャライズドの最上位ライン「S-WORKS」に乗る迷惑系中年ローディーのことである。年齢層はおおむね30代後半から50代前半で、UCIコンチネンタルチームに入るような選手や競輪など競技者出身ではなく、大体が中年に入った頃から趣味でロードバイクを始めた層。

特徴はS-WORKSというブランドを神格化し、自分の格そのものと重ね合わせてしまっている点にある。

彼らにとってS-WORKSは単なる自転車ではない。社会的地位を象徴するステータスアイテムであり、ロードバイクに“見栄と自尊心”をかけていることを証明する名刺代わりでもある。実際の走行スキルやレース実績が伴っていなくても、「S-WORKSに乗っている=上級者」という錯覚が、彼らのプライドを支えているのだ。

特に元・現役問わずショップ店員や昔からのショップ常連にも多く見られ、機材知識やブランドの歴史にやたら詳しいのも特徴である。その知識をもとに他人の機材をジャッジし、初心者相手には講釈を垂れる。「俺は昔から知っている」「そのモデルは~」が口癖になり、会話の端々から“上に立ちたい欲”が滲み出る。

見た目は完璧だ。グロス仕上げのS-WORKSフレームに、ホイールはRoval、ヘルメットもスペシャライズド純正で統一。ウェアもピタッとしたプロチーム仕様で、一見すると本格派に見える。しかし、いざ一緒に走ってみると巡航速度は意外と平凡で、上り坂では息が上がってしまう。そのギャップこそが、エスワおぢさんの本質である。

つまりエスワおぢさんとは、“ブランドの威光”によって自分を大きく見せたいローディーの総称であり、ロードバイク文化における「見栄とプライドの権化」と言える存在なのだ。

エスワおぢさんの特徴

エスワおぢさんの最大の特徴は、「ブランドを所有すること」そのものが目的化している点にある。走るために機材を選ぶのではなく、誇示するためにS-WORKSを選ぶ。つまり、性能ではなく“見せ方”に価値を置くタイプだ。

まず、見た目へのこだわりが異常に強い。フレーム、ホイール、ステム、サドル、ウェアに至るまで「全部S-WORKSで統一」しないと気が済まないのが基本。他ブランドを使うにしても必ずハイエンドを使用。走行性能よりも、他人の視線にどう映るかを優先する傾向がある。加えて、洗車頻度もやたら高く、チェーンは常にピカピカ。まるで“乗るためのバイク”というより、“飾るためのコレクション”だ。

そして会話の内容も機材の話題一色である。スペック、重量、価格、カーボンのグレード──話が深まるほど走りの話題から遠ざかる。「俺はこのステム角度が好き」「このモデルは剛性バランスが絶妙」と語るが、その実、実走データやレース経験に裏付けられているわけではない。知識の披露が自己表現の手段なのだ。

また、彼らは“所有=実力”という誤った価値観にとらわれがちだ。S-WORKSに乗る自分は「上級者側」、105搭載バイクは「初心者側」と無意識に線を引く。この上下意識が、初心者へのマウント発言や、他人の機材への過剰な批評へとつながる。

こうしたブランド依存型ローディーは、見た目や理屈では一流だが、走りそのものはごく平均的である。だが本人にその自覚はなく、「自分は上の層にいる」と思い込んでいるため、扱いが難しい。彼らにとってS-WORKSとは、脚力の代わりに“自尊心”を支えるアイテムなのだ。

本物のS-WORKS乗りとは決定的に違う点

本物のS-WORKS乗りは、ブランドの力を借りて自己演出するタイプではない。彼らにとってS-WORKSは“手段”であり、“象徴”ではない。走りの質、バイクの完成度、そして自分自身の成長を追求する過程で、結果的にS-WORKSに辿り着いた──それが本物の乗り手である。

20代の若いS-WORKS乗りの多くは、純粋に走ることを楽しむ。彼らは「S-WORKSだから偉い」などとは一切思っていない。むしろ、「これでようやく限界に挑める」と考えるタイプだ。バイクの性能を誇示するのではなく、最大限に引き出すために努力する。走りそのものが、彼らのプライドである。

また、元プロやセミプロのS-WORKS乗りに見られるのは、ブランドを“道具”として扱う姿勢だ。彼らはバイクに敬意を払いながらも、必要なら容赦なくパーツを替える。メーカー名や価格に縛られず、「どう走れるか」を最優先する。そのため、彼らの言葉や所作には無駄なイキリがない。静かで、実直で、自然と“本物感”が漂う。

一方で、エスワおぢさんはこの逆を行く。S-WORKSを“自分の格を示す肩書き”として使い、所有そのものを誇示する。実際の走りよりも、周囲からどう見えるかを気にし、ブランド名で他人を判断する。

本物のS-WORKS乗りが“走りで語る人”だとすれば、エスワおぢさんは“ブランドで語る人”。同じフレームに乗っていても、その内実はまるで異なる。

S-WORKSという名が輝くのは、バイクそのものではなく、乗り手の姿勢にこそ宿る。謙虚さと探究心をもってバイクに向き合う人だけが、その価値を本当に理解できるのだ。

本物のS-WORKS乗りの美学

本物のS-WORKS乗りには、共通した“静けさ”がある。彼らは決してブランドを誇らない。むしろ、どんなに高価な機材に乗っていても、それを当然のように扱い、特別視しない。その理由は、S-WORKSが「見せるための道具」ではなく、「走るための相棒」であることを理解しているからだ。

彼らは、機材の軽さや価格よりも“走りの感触”を大切にする。ペダルを踏んだ瞬間の反応、上りでのトラクション、下りでの安定感。そうした生きた感覚の積み重ねを通じて、自分の身体とS-WORKSの性能を一致させていく。スペックではなく「感性」で語るのが、真にバイクを理解する者の姿である。

また、整備やメンテナンスにも一貫した美学がある。必要なところだけを丁寧に仕上げ、過剰なカスタムや“軽量化自慢”には興味を示さない。彼らにとって、S-WORKSは飾るものではなく、磨き上げて使い倒すもの。そこには、機材への敬意と、走り続ける意思が宿っている。

走行中も、無駄な言葉はない。信号待ちで他人の機材に口を出すこともなく、仲間のペースに合わせて淡々と走る。彼らは、見せびらかす代わりに“背中で語る”。その姿が自然と周囲を惹きつけ、「あの人、速いな」「あれが本物だ」と思わせる。

つまり本物のS-WORKS乗りの美学とは、ブランドを誇ることではなく、“ブランドに見合う走り”を体現することにある。言葉より行動、飾りより姿勢。S-WORKSを最も美しく見せるのは、機材ではなく、乗り手の矜持なのだ。

イキリが止まらない!エスワおぢさんの典型行動

エスワおぢさんを見分けるのは、簡単だ。
その行動を少し観察すれば、彼らが「走るよりも見せたい」タイプであることがすぐに分かる。とにかく“イキリ”と“マウント”がセットになっており、ライド中も休憩中も常に上から目線を維持しようとするのが特徴だ。

まず、初心者を見つけると「講釈モード」が発動する。「S-WORKSに乗るならポジションが大事」「そのホイールはやめた方がいい」「そのモデルは前のほうが良かった」と、頼まれてもいないのにアドバイスが始まる。しかもその多くは、知識の断片と聞きかじりで構成された“理屈っぽい雑談”に過ぎない。

次に、同価格帯のロードバイクを見ると、途端にマウント体質が露わになる。TREKやCANYON、Pinarelloあたりを見れば「まぁ、いいバイクだよね」と言いながら内心では優越感を抱き、ColnagoやBianchiを見ると「でもS-WORKSほど走らないよ」と軽くディスる。彼らにとってのライバルは走力ではなく“価格帯”なのだ。

グループライドに参加したときも、イキリ癖は止まらない。スタートから無駄に前に出て、信号ダッシュで見せ場をつくり、坂の入り口でアタックをかけては中腹で失速。最終的に千切れても「今日は脚を使いたくなかっただけ」と言い訳をする。走りよりも“俺は速い風”を演出することに力を注ぐのが、エスワおぢさんの典型パターンである。

また、休憩中の会話でも「俺のTarmacはS-WORKSだから」「前のVengeのほうが剛性があった」など、自分の機材を中心に話題を展開する。他人の装備を見て「そのステム、角度合ってる?」「そのボトルケージは重くない?」といった余計な一言を挟むのもお約束だ。

結局のところ、エスワおぢさんの行動原理は「優位に立っていたい」という一点に集約される。
そのためにS-WORKSを選び、他人を下に見ることで自分の価値を保つ。だが皮肉なことに、その必死なイキリほど、周囲から見れば“痛々しい見栄”として映るのだ。

“走り”より“見せ方”を重視する行動パターン

エスワおぢさんの最大の特徴は、“速く走ること”よりも“速そうに見えること”を重視する点にある。

彼らにとってライドとは、スポーツではなく演出の場であり、走行データよりも「いかに格好良く映るか」がモチベーションの源泉だ。

まず、写真を撮るときのこだわりが異常に強い。
サイクリングロードの休憩所で、日陰や背景の光の入り方まで計算し、愛車を完璧な角度で立てて撮影する。バイクの角度、クランク位置、バルブ位置、ボトルの向きまで神経質に調整し、「これがS-WORKSの美しさ」と満足げに眺める。撮影後はすぐSNSにアップし、「最高の機材と最高の休日」と添えるのが定番だ。

走行中の姿勢にも“見せ方”がある。
実際には苦しくても、他人の目があるときだけは背筋を伸ばし、顎を引いて余裕の表情を作る。信号待ちでは足をつかずにバランスを取り続け、わざと「プロっぽさ」を演出する。周囲に誰もいなくなると、急に姿勢が崩れるのもまた愛嬌だ。

さらに、走行記録の扱いにもこだわりがある。
Stravaの平均速度や区間記録を気にするものの、実際のライドでは追い込まない。理由は「フォームが崩れるから」「今日は機材テストだから」と後付けで説明する。走りそのものよりも、見栄えの良いデータや写真を残すことが目的化しているのだ。

こうした行動は一見すると滑稽だが、根底にあるのは「憧れられたい」という純粋な承認欲求である。

エスワおぢさんは、S-WORKSを通して“理想の自分”を演じている。
ただし、その演出が過ぎると、周囲には“速い人”ではなく“見せたい人”として映ってしまう。
つまり彼らの走りは、実力よりも演出。S-WORKSという舞台装置の上で、今日も堂々とポーズを決めているのだ。

世代遅れTarmac&Vengeを“神格化”する心理

エスワおぢさんの多くは、なぜか現行のS-WORKSには乗っていない。
所有しているのは、2世代、あるいは3世代前のTarmacや、もはや過去のモデルとなったエアロフレームのVenge。それでも本人は胸を張ってこう言う──「この頃のS-WORKSが一番良かった」と。

彼らにとって旧型モデルこそ“完成形”であり、“本物のS-WORKS”なのだ。実際には、買い替えが難しい経済的な事情が背景にあるケースも少なくない。フレームセットで70万円を超える現行モデルには、変わらない薄給では簡単に手が出せるものではなくなった。

しかしエスワおぢさんはその現実を認めたくない。
そこで「最近のS-WORKSは思想がボケている」「剛性が落ちた」「前のほうがBBがしっかりしていた」などと理屈を並べて自分の選択を正当化する。“買えない”を“あえて買わない”に変換することで、プライドを守るのだ。

さらにTarmac SL5やVenge ViASのようなモデルには、彼ら自身の“黄金期”の記憶が重なっている。当時、ショップ仲間に囲まれて走っていた頃の高揚感、最新機材を手に入れたばかりの優越感──その時代を象徴するフレームを手放すことは、自分の全盛期を失うような感覚に近い。

だからこそ旧型を“名機”と呼び、最新モデルを貶すことで心のバランスを取ろうとする。この心理は、単なる懐古趣味にとどまらない。エスワおぢさんにとって旧世代TarmacやVengeは「過去の自分の象徴」でもあるのだ。

現行モデルを認めることは、自分の衰えを認めることと同義になる。ゆえに彼らは技術の進化を拒み、「昔の方が良かった」と言い続ける。それは信念というより、防衛本能に近い。S-WORKSというブランドは常に“進化”を掲げてきた。

だがエスワおぢさんにとってのS-WORKSは、進化の象徴ではなく「過去の栄光の記念碑」なのだ。彼らの中でS-WORKSは未来ではなく、いつまでも“あの頃”を走り続けている。

過去の名機にすがるおぢ心

エスワおぢさんが旧型のTarmacやVengeを手放せないのは、単なる経済的理由ではない。そこには、過去の自分を肯定し続けたいという感情が根深くある。

あの頃の自分は速かった、仲間に囲まれていた、注目されていた──その記憶がフレームに刻み込まれているのだ。彼らにとってバイクは道具ではなく、“全盛期の記憶装置”である。だからこそ、新しいモデルに乗り換えることは、自分の栄光の証を捨てるような感覚になる。

「昔のほうが軽かった」「この時代のカーボンフレームは作りが違う」といった発言は、技術批評ではなく、失われつつある自信を守るための自己防衛に近い。たとえ性能的に劣っていようと、“あの頃の名機”に乗っていることで、自分が今も特別な存在であると信じたいのだ。

S-WORKSというロゴは、その願いを現実に留めておくための“お守り”のようなものでもある。結局のところ、過去の名機にすがるおぢ心とは、衰えを受け入れられない大人のロマンであり、同時に“あの頃の自分”を必死に繋ぎ止めようとする、ちょっと切ないプライドの表れなのだ。

なぜ元ショップ店員や常連がエスワおぢさん化するのか

なぜ元ショップ店員や常連がエスワおぢさん化するのかというと、その多くは「知識」と「立場」への執着が抜けきらないからである。

かつてショップに勤めていた、あるいは常連として店に通い詰めていた頃の彼らは、情報も人脈も豊富で、周囲から頼られる存在だった。新作パーツの情報をいち早く仕入れ、整備方法を語り、他人のポジションをチェックする──その頃は“詳しい人”として一目置かれていた。

ところがショップを離れ、一般のローディーに戻ると、その優位性は一気に失われる。誰もがネットで最新情報を得られる時代に、かつての知識はすぐに古びてしまう。にもかかわらず、彼らはその頃の感覚を忘れられない。自分の中で「俺は詳しい」「俺は経験がある」という意識が固定化され、他人の機材や走りに口を出すようになるのだ。

特に厄介なのは、当時の理論を絶対視している点である。トレンドが変わっても「昔のほうが良かった」「新しいのは甘い」と断じ、時代の流れを受け入れない。これがエスワおぢさん特有の“古参マウント”を生む原因である。

また、ショップ文化特有の“仲間内ヒエラルキー”をそのままロードバイク趣味に持ち込む傾向も強い。店内での序列や上下関係をそのままSNSやライドグループに再現しようとするため、周囲からは扱いづらい存在になってしまう。

結果として、本人は「ベテラン」のつもりでも、他人から見ればただの“過去の人”であり、過去の栄光と知識にすがることで自尊心を保とうとする。そうして気づけば、彼らは自然とエスワおぢさんへと変貌していくのである。

S-WORKS信仰の裏にある承認欲求

S-WORKS信仰の裏には、エスワおぢさんたちの強い承認欲求がある。彼らにとってS-WORKSとは、単なる機材ではなく「自分がすごい人間である」と証明するためのアイコンであり、他人の評価を得るための手段でもある。

ロードバイクという趣味は本来、個人競技であり、走る目的も自由であるはずだが、エスワおぢさんはその自由の中に不安を感じる。だからこそ「高級バイクに乗っている」という事実を支えに、自分の存在価値を確認しようとするのだ。

高い機材に乗っている=上級者という誤った構図の中で、彼らは「見られること」を前提に走っている。ウェア、バイク、アクセサリー、どれもが他者の視線を意識した選択だ。「S-WORKSに乗っている俺」を見てほしい、その一心である。

こうした心理はSNSで顕著に表れる。
ライドの記録よりも、ピカピカの機材写真を投稿し、「これが本物の走り」と誇示する。だが本当の目的は“走り”ではなく“注目”であり、他人の「すごいですね」という一言が心の燃料になっているのだ。

さらに承認欲求が満たされなくなると、今度は他人を批判することで自分の立場を保とうとする。「あのブランドは量産型」「S-WORKSじゃなきゃ剛性が足りない」といった発言は、自尊心を守るための防衛反応に過ぎない。

つまりエスワおぢさんのS-WORKS信仰は、ブランドへの愛ではなく“自分を保つための信仰”なのである。S-WORKSというロゴは、彼らにとって社会的な名刺であり、走力よりも「自分の価値」を可視化するための道具なのだ。

まとめ|エスワおぢさんはブランドに生きる非レーサー

エスワおぢさんは、S-WORKSというブランドに自分の価値を重ねて生きる非レーサーである。彼らにとってロードバイクとは、速く走るための道具ではなく、自尊心を支えるシンボルだ。

旧世代のTarmacやVengeは、努力や結果の代わりに自分の格を証明してくれる“代用品”となっている。だからこそ彼らは機材を誇り、他人を評価し、ブランドを盾に語りたがる。だが皮肉なことに、その行動こそがS-WORKSの本来の価値を最も損なっている。

真のS-WORKS乗りは、黙って走りで語る。ブランドを自慢するのではなく、性能を信じ、走ることでその意味を体現する。対してエスワおぢさんは、語ることでしか自分を保てない。

つまり彼らのS-WORKSは「走るためのバイク」ではなく、「語るための肩書き」なのだ。それでも、そこに込められた思いを否定することはできない。彼らはかつてS-WORKSに夢を見た。誰よりも速く、誰よりもカッコよくなりたかった。

その純粋な憧れが、今では少し歪んだ形で残っているだけだ。結局、エスワおぢさんとは、ブランドに生かされ、ブランドを通して自分を語る存在であり、S-WORKSという名のもとに“走れない理想”を追い続ける哀愁のローディーなのである。

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