ロードバイクで見かけるエモい瞬間 Vol.014~がんばれ、がんばれ。~

雑記コラム

最新の機材やスペック、効率ばかりを追い求めるロードバイクの世界。しかし、週末のサイクリングロードでふと出会う「補助輪の子どもと、見守る両親」の姿は、私たちが忘れかけていた自転車の原初的な喜びを突きつけてきます。今回は、そんな何気ない、けれど残酷なほどに尊い家族の風景についてです。

人生、初めての、自転車

週末のサイクリングロードは、平日のストイックな雰囲気とは打って変わって、多種多様な人生が交差するステージに変貌する。数分おきに高強度のインターバルを繰り返すガチ勢や、派手なジャージに身を包んだ集団が駆け抜ける横で、幸せの原風景とも呼べるような光景がある。

補助輪付きの自転車を必死に漕ぐ小さな子どもと、その数メートル後ろを、腰を屈めながら見守る両親。そんな「家族の風景」だ。

前傾姿勢で時速30キロ以上の風を切っているとき、俺たちはつい、自転車を「速く遠くへ行くための機材」としてしか見ていない。しかし、ふと減速を余儀なくされるその家族の傍らを通り過ぎる瞬間、かつて自分が初めて補助輪を外した日の記憶が、不意にフラッシュバックすることがある。

ふらつくハンドル、おぼつかない足取り。それを見守る父親の、心配そうでありながらもどこか誇らしげな眼差し。そこには、最新のカーボンフレームも電動コンポーネントも介在しない、自転車という乗り物が持つもっとも原初的な喜びが凝縮されている。彼らにとっての100メートルは、俺たちが100キロを走り切るのと同じくらいの冒険であり、人生における大きな一歩なのだ。

サングラスの奥で目を細め、彼らを追い越していくとき、俺たちは無意識に祈っている。どうか転ばないように。もし転んでも、また立ち上がってペダルを回せるように。そしていつか、その子が成長して風の速さを知ったとき、今日隣で歩いていた両親の姿を思い出してくれるように、と。

何十万、何百万という機材を揃え、格付けやスペックに一喜一憂している自分たちの世界が、少しだけ滑稽で、同時にとても愛おしく感じられる瞬間でもある。サイクリングロードという、本来は速さや健康を求める場所ですら、小さな主役の一漕ぎの前では、ただの温かな通り道にすぎない。

俺たちは再び加速し、彼らをミラーの彼方へと置き去りにする。しかし、背中に受けた家族の笑い声は、向かい風を切り裂くための不思議な力となって、しばらくの間、冷えた身体を内側から温めてくれる。

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