あと5km、平均を少しだけ、獲得標高をもう一段。ライド中は、どこまで走るか、どこで止めるか、なかなか決められないもの。しかし、そんな流れを断ち切る行為があります。それが、サイコンを外すという選択。
走行中に記録を手放すその瞬間には、確かに数字では測れない感情が確かに存在しています。
いつも、決めるのは、自分
ロードバイクに乗る理由は人それぞれですが、サイコンを付けて走っている限り、多くの人はどこかで数字に縛られています。距離、平均速度、獲得標高、心拍。画面を見ていないつもりでも、気づけば判断基準はすべて数値になっているものです。
そんな中で、ときどき見かけるのが、走行途中でサイコンを外し、静かにバッグへしまうローディー。再起動するでもなく、ログを確認するでもなく、ただ外す。その動作には、もう十分だという意思がはっきりと表れています。
今日は追い込まない。今日はこれ以上、距離を伸ばさない。今日はもう走らない。
その決断は派手でも劇的でもありませんが、妙に胸に残ります。数字で区切るのではなく、自分の感覚で終わりを決めた瞬間だから。
サイコンを外したあとのペダリングは、不思議と軽く見えることがあります。速度を気にせず、勾配を数えず、ただ前へ進むだけ。もはやトレーニングでも記録更新でもなく、移動ですらない、余韻の時間です。
ロードバイクは、走り続けることが正解だと思われがちです。しかし、本当に大人なライドは、やめ時を自分で決められることなのかもしれません。サイコンを外したその瞬間、ライドは終わり、そして同時に、静かな満足感が始まっています。
数字を捨てた人だけが味わえる、短くて深い瞬間。



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