ロードバイク文化の中で、ひときわ強い存在感を放ち続けるホイールがある。それがカンパニョーロの名作「BORA」。
本サイトの2025年ホイールブランド格付けでも第6位に留まり、かつてのホイール四天王の威光は消え去ったものの、まだまだブランドとしての価値は高いCampagnolo。その最高峰に位置するのがBORAシリーズだ。
BORAは90年代の登場以来、数々のレースシーンを彩り、やがて一部のサイクリストにとっては“信仰”に近い存在となった。特にリムブレーキ仕様のBORA ONEやBORA ULTRAは、技術と美意識が融合した象徴的なモデルだった。
そしていま、そんなリムブレーキ仕様の名作を履き続ける中年おぢたちのBORAは人からこう呼ばれる──“おぢBORA”、と。
時代の進化を横目に、それでもなおBORAを手放さない彼らの姿には、笑いと敬意、そして確かな文化の香りが漂っている。
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おぢBORAとは──リムブレーキ時代の栄光にすがる男たち
2000年から2010年代。ロードバイクが“機材ドヤり”の象徴だった時代がある。フレームよりも先にホイールを語り、カーボンリムの響きとロゴの派手さで優越感を競い合った。
その中心にあったのが、カンパニョーロの名作「BORA」シリーズ。白と赤の大きなロゴが入ったリムを履けば、それだけで速くなった気がした。ショップの常連たちは、ボーナスをつぎ込んでBORA ONEやBORA ULTRAを手に入れ、グループライドでは光沢を誇示するように太陽の下を走った。
そして10年。時代はディスクブレーキに移り、街のロードは静かに進化を遂げた。にもかかわらず、いまだリム仕様のBORAを履き続ける男たちがいる。彼らが履く、そのホイールこそ“おぢBORA”だ。
給料は下がり、膝も痛む。それでも「まだまだ回る」「リムこそ至高」と言い張る。ホイールの性能を褒めるより、買った当時の話の方が長い。彼らにとってBORAとは、単なるパーツではなく“過去の自分が一番輝いていた証”なのだ。
やがて赤と白のデカールは日に焼け、ハブの爆音もどこかくたびれてくる。それでもおぢは磨き、手で回し、満足げにうなずく。
「ディスク?そんなの重いだけだろ」と言いながら、最新WTO勢を横目に、今日も河川敷でハブから爆音を鳴らす。仲間からは“時代遅れの看板”と冷やかされても、本人は気にしない。むしろその“古さ”こそが誇りだ。
おぢBORAとは、時代に取り残された哀愁ではなく、ロードバイク文化のひとつの到達点でもある。速さよりも愛着、流行よりも思い出。リムブレーキのホイールを磨き続けるその姿に、かつてのロードバイク黄金期の残光がいまも確かに宿っている。
CAMPAGNOLO BORAシリーズの歴史と進化
カンパニョーロのBORAシリーズは、単なるホイールではなく「イタリアン・クラフトマンシップ」の象徴として進化を重ねてきた。
1990年代、カーボンという素材がまだ高級品の代名詞だった時代に、カンパニョーロは他社に先駆けてフルカーボンホイールを市場投入した。以来、BORAの名は“軽さと剛性”“機能と美”を併せ持つ理想のホイールとして、プロからアマチュアまで多くのローディにとって憧れの存在となる。
その後、BORAは時代の流れに応じて形を変えながらも、一貫して「回転性能」と「美意識」の両立を追求してきた。素材が進化し、リム幅やベアリング構造が変わっても、根底に流れる思想は変わらない。それは“どれだけ速く走るか”よりも、“どれだけ気持ちよく走れるか”という、イタリア的な感性に根ざした哲学だ。
BORA ONEやBORA ULTRAが隆盛を極めた2010年代は、リムブレーキの黄金期と重なる。その完成度はプロチームが使用するレベルに達しながらも、市販モデルとして広く出回ったことで「憧れが現実になる瞬間」を多くのローディが味わった。この頃にBORAを手にした世代が、いま“おぢBORA”と呼ばれる層でもある。
やがて時代はディスクブレーキへと移行し、カンパニョーロは空力最適化を掲げた「WTO(Wind Tunnel Optimized)」シリーズを投入する。BORAは常に時代の転換点を象徴する存在であり、古き良きリムの名残を残しながら、新たな空力時代の先頭を走り続けている。
30年を超える進化のなかで、BORAが失わなかったのは“速さの哲学”ではなく、“走りの美学”だ。
だからこそ、いまもリム派のおぢも、最新WTOを履く若手も、同じロゴの下でひとつの系譜を共有している。
1994年~1999年:カンパニョーロ初のカーボンホイールとしてBORA誕生
1994年、カンパニョーロはホイールの常識を覆す製品を世に送り出した。それが、同社初となるフルカーボンリムホイール「BORA」である。まだカーボン素材が“未知の高級素材”と見なされていた時代、アルミ中心だった市場にあって、この挑戦はまさに革命的だった。軽量化と高剛性、そして空力性能を同時に追い求めたBORAは、イタリアの職人技術と先進素材が融合した象徴的な存在となった。

当時のBORAは、プロレースでの使用を前提として設計されており、空力を重視したリム断面と、精密なスポークテンション管理が特徴だった。カンパニョーロ伝統のベアリング構造を組み合わせたハブは、滑らかな回転性能を誇り、当時の選手たちからも高い評価を受けた。性能だけでなく、黒光りするカーボンリムに白い「BORA」ロゴが映えるその姿は、見る者を圧倒する存在感を放っていた。
しかし何より衝撃的だったのは、その価格である。
日本国内で販売された初期BORAは、フロント約10万円、リア約11万円前後という超高級モデルだった。1990年代半ばのホイールとしては異例の高額で、当時の完成車が丸ごと1台買えるほどの値段だった。一般サイクリストにとっては手の届かない憧れの存在であり、プロ機材としてのブランド価値を決定づけた。
それでも、あえてこのホイールを選ぶ者がいた。軽量化のために生活を切り詰め手に入れたBORAは、単なる機材ではなく“夢を形にした証”だった。その所有感、音、見た目のすべてが、持ち主に特別な高揚感を与えたのである。
こうして誕生した初代BORAは、のちのBORA ONEやBORA ULTRAへと続く系譜の原点となり、
カンパニョーロが「速さ」ではなく「美しさと情熱で走る」ブランドであることを世界に知らしめた。BORAの名は、この時すでに“イタリアンホイールの最高峰”として確立していたのである。
2000年代~2010年代:BORA ONE/ULTRA時代──おぢBORAの黄金期
2000年代に入ると、カンパニョーロのBORAシリーズは、名実ともに「高級カーボンホイールの代名詞」となった。リムブレーキ時代の完成形ともいえるこの時期、BORAは単なる機材を超え、所有そのものがステータスとなる存在へと進化していく。

シリーズの中核を担ったのが、BORA ONEとBORA ULTRAである。BORA ONEはアルミハブを採用した実用志向のモデル、BORA ULTRAはカーボンハブとCULTベアリングを備えた上位機種として位置づけられた。いずれもG3スポークパターンを採用し、剛性と回転性能のバランスを突き詰めた設計思想を受け継いでいた。この時代のBORAは、性能面の完成度だけでなく、白と赤の派手なデカールによる圧倒的な存在感で、多くのローディを虜にした。
2000年代半ばになると、カーボンリムの製造精度が飛躍的に向上し、BORAの軽量性と耐久性もさらに磨かれた。また2008年頃には、リムハイトの異なる「BORA 35」「BORA 50」「BORA 80」が登場し、用途や走行シーンに応じた選択肢が広がる。ロードレースの現場でも多くのプロチームが採用し、BORAは「勝つためのホイール」として名を馳せた。
当時のカタログ価格はBORA ONEが前後セットの定価でおよそ30万円前後、BORA ULTRAは定価40万円を超える高級品だったと記録されている。この価格帯は、同時期のカーボンフレーム完成車が購入できるほどの水準であり、BORAを選ぶことは経済的にも大きな覚悟を伴った。それでも、リムブレーキの軽快な制動感と、あの「ジャァァァァァ!」という特徴的なラチェットの爆音に魅せられ、多くのローディがこのホイールに惚れ込んだ。
こうしてBORA ONE/ULTRAの時代は、“おぢBORA”が誕生した時代でもある。
仕事帰りにローンで買い、週末のライドで磨き上げる。彼らにとってBORAは、ただのホイールではなく「誇り」「青春」「証」そのものであった。その記憶は10年を経た今も、白と赤のデカールとともに色褪せず残り続けている。
2018年~現在:WTO時代──風洞最適化とディスク化への進化
2018年、カンパニョーロはBORAシリーズの新章を開いた。それが「WTO(Wind Tunnel Optimized)」である。名前の通り、徹底的な風洞実験によって空力性能を追求したこの世代は、BORAの伝統を継承しながらも、構造・素材・思想のすべてを刷新した。

リム形状は従来よりもワイド化され、空気抵抗の低減と横風安定性の向上を両立。また、チューブレスにも対応した「2-Way Fit」構造を採用し、快適性と転がり効率の両立を果たした。内部構造には「Mo-Mag」ニップルシステムを導入し、リム内側にニップル穴を設けないことで剛性と気密性を高めるという、従来にはない設計思想を打ち出した。そして、カンパニョーロの代名詞でもあるCULTベアリングとG3スポークパターンは健在。リムブレーキ時代の遺伝子を、最新技術の中に見事に融合させている。
最大の変化は、ディスクブレーキ専用モデルの本格展開だ。BORA ULTRA WTOはその象徴であり、リムブレーキ仕様が姿を消す中、ディスクロードの主流化に完全対応した。これによりBORAは、もはや“軽さの象徴”から“空力と制動の統合体”へと進化を遂げた。一方で、長年リムブレーキを愛してきたおぢ世代にとっては、この変化は少し寂しい転換点でもあった。BORAの「リムを磨く喜び」は、時代の波とともに静かに過去のものとなっていったのである。
価格面でも、この世代のBORAは完全に“超高級ホイール”の領域に達した。BORA WTO 45や60は前後セットでおよそ40万〜50万円前後、最上位のBORA ULTRA WTOに至っては60万円を超える。カーボンの積層精度、ベアリングの軽さ、そしてイタリア製へのこだわりが、この価格に込められている。それでも、BORAを選ぶ理由は明確だ。性能はもちろん、そこに流れる30年の歴史と哲学が、他ブランドにはない“情緒”を生む。
リムブレーキ時代の象徴として「おぢBORA」が存在するなら、ディスクブレーキ時代の象徴は「BORA WTOシリーズ」と言えるだろう。両者は技術的には異なるが、どちらにも共通しているのは「速さだけでなく、美学を追う姿勢」である。
BORAの名は、時代を超えて“走りの美しさ”を体現し続けている。
なぜおぢBORAは売れたのか?
おぢBORAがここまで広く普及した最大の理由は、「円高と海外通販」という時代の追い風である。
2000年代後半から2010年代前半にかけて、英国やヨーロッパの通販サイトが日本への直送を始めたことで、国内定価よりもはるかに安くカンパニョーロBORAを入手できる環境が整った。とくに2012年前後の円高局面では、1ポンドが120円前後、1ユーロが100円を切ることもあり、海外通販の価格優位性が極端に高まっていた。
当時、国内でのBORA ONEの定価は前後セットでおよそ30万円前後、上位のBORA ULTRAは40万円を超える高級モデルだった。しかし、海外通販ではBORA ONEが実勢で20万円前後、BORA ULTRAでも25万円台で購入できた事例が多く見られた。
為替差益とVAT(付加価値税)免除による割引が重なり、送料や関税を加味しても10万円近く安く買えたケースすら存在した。国内ショップでは“夢のホイール”だったBORAが、海外通販サイトでは“頑張れば届く贅沢品”に変わったのだ。
この価格差が、おぢたちの購買意欲に火をつけた。「国内定価では到底無理だが、海外なら手が届く」──そんな心理が、ロードバイクおぢの間に広がっていった。
円高で海外通販がブームとなり、深夜にwiggleやChain Reaction Cyclesを覗き込み、セール開始を待ち構えるおぢたちの姿は、当時のある種の風物詩だった。英語が苦手でも構わない。為替計算機と辞書を片手に、“清水の舞台から飛び降りる覚悟”で購入ボタンを押すのが、当時のローディ文化の通過儀礼でもあった。
さらに、BORA ONE/ULTRAは海外通販でも信頼性が高く、偽物が少なかったことも安心材料だった。
カンパニョーロというブランドの信頼性と、確かな品質が裏打ちされていたため、海外からの購入でも不安が少なかった。また、BORAはモデルサイクルが長く、数年単位での改良にとどまっていたため、“旧モデルでも性能がほぼ同等”という安心感もあった。こうした背景が、「買うなら今」「安くなった今がチャンス」という購買心理をさらに加速させた。
結果として、おぢBORAは“富裕層の象徴”ではなく“頑張れば買える夢の延長線”として浸透した。
夜な夜な通販サイトを更新し、届いた巨大なダンボールを前にニヤつく中年おぢたち。それは単なる買い物ではなく、ロードバイク文化における“ロマンの儀式”だったのだ。
この時代、海外通販のクリックひとつで手に入るBORAは、おぢたちの誇りと物欲を満たす、最も現実的で最も熱狂的な選択肢だった。
なぜおぢはBORAを手放せないのか?
おぢBORAを履く男たちがホイールを手放せない最大の理由──それは、経済的な現実である。ディスクブレーキ全盛の今、ホイールだけでなくバイク本体も時代に合わせて買い替えなければならない。
しかし、そのハードルが高すぎるのだ。
現在、BORA ULTRA WTOなどの最新ホイールは定価60万円を超える。だが問題はそこだけではない。ディスク仕様のホイールに合わせるには、フレームもコンポも一式交換しなければならない。
つまり、フレーム・グループセット・ホイールをすべて新調すると、総額で100万円を優に超える。
かつてBORAを買ったおぢたちにとって、その出費はもはや現実的ではない。給料は上がらず、家族への支出は増える。老眼鏡や持病の薬代がホイール資金を静かに侵食していく。
だから彼らは言う。「まだ回る」「リムブレーキこそ正義だ」と。
だがその言葉の裏には、“もう新しいフレームやホイールを買えない”という切実な事情が隠れている。いまやリムブレーキ対応フレームは新規モデルがほとんど存在せず、手放せば二度と戻れない。おぢたちは、愛車とBORAを一体で守るしかないのだ。
それでも、おぢたちはその状況を悲観していない。彼らにとって、このホイールは“最後に買った高級機材”であり、青春の象徴でもある。ボーナスを前借りして手に入れたBORAは、あの頃の自分の努力と情熱の証。経年劣化も、“味”として受け入れられる。最新のディスクロードを羨ましく眺めつつも、「俺のBORAはまだ戦える」と自分に言い聞かせる。
つまり、おぢBORAが手放せないのは、性能への執着ではなく、“買い替えられない現実と、過去への誇り”が共存しているからだ。そのホイールを売れば、かつての自分まで失う気がする。磨き続けるのは、機材ではなく記憶。
BORAを回すたび、ハブの爆音とともに「まだ走れる」と自分に言い聞かせているのだ。
BORAが残したもの──名作ホイールの本質
カンパニョーロBORAがロードバイク史に刻んだ功績は、単なる技術革新ではない。それは「ホイールとは何か」という定義そのものを変えた存在だった。BORAが登場する以前、ホイールは消耗品であり、軽量化や剛性向上はフレームの役割と見なされていた。
しかし、BORAはその考えを覆した。カーボンリムの高剛性、精密なベアリング構造、空力を意識したリム形状──それらが一体となって、ホイールそのものを「走りの心臓」と呼べる領域に押し上げたのだ。
BORAシリーズの技術進化は、業界全体の指標にもなった。G3スポークパターンによる駆動効率、CULTベアリングの低摩擦回転、AC3ブレーキ面の制動力向上、そしてWTO世代における風洞最適化設計。これらの要素はすべて、単なるスペック競争ではなく“走行感の質”を追求するための哲学だった。イタリアの職人文化が支えるこの哲学は、いまも多くのブランドが模倣し、そして追いつけていない。
だが、BORAが真に残したのは技術よりも「文化」だ。BORAを履いた者の多くが、自分の走り方や価値観まで変えた。それは機材自慢でもドヤりでもなく、所有すること自体に意味があった。
リムを磨き、ハブを回し、ロゴを眺める時間──その一つひとつが“ロードバイクに生きる喜び”だった。特に日本では、おぢBORAたちがその象徴となり、ロードバイクを「人生と結びつける趣味」へと押し上げた。彼らの存在が、BORAという機材に“人間の物語”を宿らせたのだ。
もちろん、今やBORAは最先端ではない。ディスク時代の新鋭たちが性能面で上を行き、空力や軽量性の数値も更新されている。それでも、BORAには数字では測れない価値がある。それは「乗っている自分を誇れる感覚」だ。BORAを履くと、ただ走るだけで満たされる──この“満足感”こそが、BORAが生んだ最大の発明だった。
BORAが残したものは、速さでも、デザインでも、ブランドでもない。それは“走ることへの敬意”だ。BORAを愛したおぢたちは、いつかそのホイールを磨きながらこう語るだろう。「もう時代遅れかもしれない。でも、これで走っていた頃の自分は、たしかに輝いていた」と。BORAはその記憶を封じ込めたまま、いまも回り続けている。
まとめ|おぢBORAは“時代遅れ”であり“時代の遺産“
いま、おぢBORAは確かに“時代遅れ”だ。
ディスクブレーキの普及によって、リムブレーキ用のBORAは市場から消えつつある。街を走れば、静かに滑るWTO勢が並び、かつての「ジャァァァァァ!」というハブの爆音は、遠い記憶のように響く。それでも、このホイールが消えることはない。なぜならBORAは、ただの機材ではなく、“あの時代の情熱を封じ込めた記憶”だからだ。
おぢBORAを象徴するのは、決して速さでも性能でもない。限られた収入の中で清水の舞台から飛び降り、ボーナスをつぎ込んで買ったという物語そのものだ。買い替える余裕がなくなった今、その過去の選択こそが誇りになる。
彼らにとってBORAは、人生のピークを形にした“最後の贅沢”だった。だからこそ、褪せたロゴも、削れたブレーキ面も、みな輝いて見える。それは「新しいものを持たない」ことではなく、「古いものを背負う覚悟」なのだ。
BORAが残したのは、技術よりも感情である。“まだ回る”と笑いながら、実際には経年劣化を受け入れつつ乗り続ける姿に、ロードバイク文化の本質がある。それは「速さ」ではなく、「どれだけ長く走り続けられるか」という生き方そのものだ。BORAは、機材の進化の先にある“人間の持続”を体現している。
時代は変わり、リム派は少数派になった。だが、誰もが最初に惚れた機材を忘れられないように、おぢたちもまた、自分のBORAを手放せない。その姿を笑う者もいるだろう。しかし、笑われる覚悟で古いホイールを磨き続ける姿にこそ、ロードバイクという趣味の“美学”がある。
おぢBORAとは、過去にしがみつく存在ではなく、時代の流れの中で小さなプライドを保ち続ける人々が履くホイールの象徴である。時代遅れでありながら、時代の遺産。それが、カンパニョーロBORAが残した最大の価値であり、ロードバイク文化が育んだ最も人間的な物語なのだ。



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